2553 二人の和算学者の顕彰と桜を詠んだ和歌の碑(台東区浅草2-3・浅草寺・新奥山)
1. 「會田先生算子塚碑」、福島県の出身で少数派だった「最上流和算」の学者、會田算左衛門安明 ( 1747 ~ 1817 ) の碑。16歳で地元の算学者岡崎安之に師事、33歳で江戸へ出て幕府役人となるも和算の研さんに励む。「算法天元法指南」等を著す。また、この碑文は亀田鵬斎の代表的な作品。 1. 會田先生算子塚碑2.、大亀の背中に建てられた石碑には「四季を詠み込んだ 36首の狂歌 (...
View Article2554 川口松太郎歌碑(台東区浅草2-3・浅草神社)
「川口松太郎 歌碑」川口松太郎ハ明治三十二年十月一日今戸ニ生レル、昭和十年第一回直木賞受賞ノ「鶴八鶴次郎」ヲ初メトシテ小説脚本二名作多ク文壇劇壇ニ多大ナ足跡ヲシルス 特二新派俳優花柳章太郎水谷八重子等ニヨッテ演ジラレタ情緒豊カナ諸作品ハ観客ヲ魅了ス 這般ノ功績ニヨリ三十八年菊池寛賞受賞 四十年芸術院会員 更ニ四十四年『しぐれ茶屋おりく』ノ一編ニヨリ吉川英治文学賞受賞 四十八年文化功労賞二叙セラレル...
View Article2555 迷子しるべ石(台東区浅草2-3・浅草寺)
昔、迷子が出た時には、この石碑でその旨を知らせた。石碑の正面に「南無大慈悲観世音菩薩」と刻み、一方に「志らする方」、一方に「たづめる方」とし、それぞれに用件を記した貼紙で情報を交換した。情報未発達の時代には重宝され、「江戸」市内の繁華な地に建てられたものの一つ。安政七年 ( 1860 ) 三月、新吉原の松田屋嘉兵衛が、仁王門 ( 現宝蔵門 )...
View Article2556 樋口一葉記念碑(台東区竜泉3-18-4・一葉公園)
ここは明治文壇の天才樋口一葉舊居の跡なり。一葉この地に住みて「たけくらべ」を書く。明治時代の竜泉寺町の面影永く偲ぶべし。今町民一葉を慕ひて碑を建つ。一葉の霊欣びて必ずや来り留まらん。菊池寛右の如く文を撰してここに碑を建てたるは、昭和 11年 7月のことなりき。その後軍人国を誤りて太平洋戦争を起し、我国土を空襲の惨に晒す。昭和 20年...
View Article2557 一葉女史たけくらべ記念碑(台東区竜泉3-18-4・一葉公園)
近代文学不朽の名作「たけくらべ」は、樋口一葉在住当時の竜泉寺町を中心に吉原界わいが舞台となった。これを記念して昭和二十六年十一月、地元一葉記念公園協賛会によって建てられ、その後台東区に移管された。碑文は女史の旧友歌人佐佐木信綱博士作並びに書による次の 2首が刻まれている。...
View Article2558 初代・中村吉右衛門句碑(台東区浅草2-3・浅草神社)
「女房も 同じ氏子や 除夜詣で」 吉右衛門建碑 昭和二十八年四月二十一日初代中村吉右衛門 歌舞伎俳優 日本芸術院会員 文化勲章受賞明治十九年三月二十四日 浅草象潟町に生まれ 幼少から舞台に立って名声を得 長じて大成し 大正・昭和期を代表する歌舞伎俳優となった。高浜虚子に師事して「ホトトギス」の同人となり...
View Article2559 鳩塚(台東区浅草2-1-16・弁天山)
境内の鳩豆屋が死んだ鳩の慰霊のため、昭和 35年建立。 にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」と押して応援して頂くと、管理人の励みになります。
View Article2560 扇塚(台東区浅草2-1-16・弁天山)
「扇舞」供養塚。昭和 39年花柳徳太郎氏が造立。 にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」と押して応援して頂くと、管理人の励みになります。
View Article2561 久保田万太郎句碑(台東区千束3-20-2・吉原神社)
この神社の入り口右側に、ひっそりと久保田万太郎の句碑があります。この里に おぼろ ふたたび 濃きならむ(案内板より)それ以外の、久保田万太郎の句碑は此方です。①ふるさとの月のつゆけさ仰ぎけり ( 雷門 ~ 万太郎誕生の地 )②神輿まつまのどぜう汁すすりけり ( 駒形どぜう前 )③またの名のたぬきづか春ふかきかな( 浅草寺伝法院 )④竹馬やいろはにほへとちりぢりに...
View Article2562 河竹黙阿弥顕彰碑(台東区浅草2-3・浅草神社)
黙阿弥は江戸時代後期から明治中期にかけての歌舞伎狂言作者。東京百年記念に台東区が建立。(案内板より)関連情報http://ameblo.jp/honmokujack/entry-11299865144.html 1076 河竹黙阿弥終焉之地(墨田区亀沢2丁目) にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」と押して応援して頂くと、管理人の励みになります。
View Article2563 聖観音真言梵字の碑(台東区浅草2-1-16・弁天山)
明日は早くから出かけてしまう為、昼の記事の更新が出来ません。夕方の記事は何時も通りに更新出来ると思います。すいませんが宜しく御願い致します。上部に聖観音の種字「サの字」。中部にオン・アロリ・キヤ・ソワカ・ボロン。下部に弥陀の種字キリーク。裏面に天保 8年 ( 1837 )吉原仲の町、山口巴屋とえ建立とある。 にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」と押して応援して頂くと、管理人の励みになります。
View Article2564 都々逸塚の碑(台東区浅草2-1-16・弁天山)
明治百年を記念して造立。表面左下に亀屋忠兵衛とある。 にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」と押して応援して頂くと、管理人の励みになります。
View Articleきょうは群馬県の国定に行って来ました。
国定と言えば、「国定忠治 (長岡忠次郎)」ですね。国定駅からボチボチ歩いて、養寿寺に到着。養寿寺は長岡家の菩提寺なので墓石だけでも 20 ~ 30基以上有りました。国定忠治の御墓も撮影して国定駅に戻る。国定駅から伊勢崎駅に戻る際、左側の窓から でかい宝篋印塔が、かなりの数見えたので伊勢崎駅より向かう。すると「稲垣平右衛門長茂の墓 付 累代の墓所」が有り、宝篋印塔だけで...
View Article2565 添田唖蝉坊碑(台東区浅草2-1-16・弁天山)
添田唖蝉坊 本名・平吉 筆名は唖蝉坊のほか不知山人、のむき山人、凡人など。神奈川県大磯に生まれる。昭和十九年 ( 1944 )...
View Article2566 添田知道筆塚(台東区浅草2-1-16・弁天山)
添田知道 唖蝉坊の長男。東京出身。昭和五十五年 ( 1980 ) 三月十八日歿。享年七十七歳。父唖蝉坊とともに演歌の作詞、作曲に従事したあと作家活動に入る。筆名は知道のほか、さっき、吐蒙。演歌作品に「東京節」「復興節」「ストトン節」など。著書に新潮文芸賞受賞の長編小説「教育者」「利根川随歩」「演歌の明治大正史」などがある。(案内板より)詳しい事は、下記記事『2565...
View Article2567 普閑の歌碑(台東区浅草2-1-16・弁天山)
かかるとはおもひさだめし・・・の歌を刻む。嘉永 5年 ( 1852 ) 建立。 にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」と押して応援して頂くと、管理人の励みになります。
View Article2568 松尾芭蕉像と句碑(台東区浅草2-1-16・弁天山)
くわんをんのいらか見やりつ花の雲 はせを俳諧紀行文『奥の細道』などを著した松尾芭蕉は、寛永二十一年 ( 1644 ) 伊賀上野(現、三重県上野市)に生まれました。芭蕉という俳号は、深川の小名木川ほとりの俳諧の道場『泊船堂』に、門人が芭蕉一枚を植えたことに由来します。独自の蕉風を開き『俳聖芭蕉』の異名をとった松尾芭蕉は、元禄七年 ( 1694 )...
View Article2569 幇間塚(台東区浅草2-3・鎮護堂)
幇間塚 ( ほうかんづか )「幇 ( ほう )」とは、たすける意。幇間とは、客の宴席に侍し、座を取り持つなどして遊興を助ける者。たいこもち、男芸者のこと。幇間有志によって、幇間物故者供養のため、昭和三十八年に建立された。碑には、浅草生まれで、大正、昭和期の小説家・劇作家・俳人、久保田万太郎の俳句がある。「またの名の たぬきづか 春ふかきかな」(案内板より)● 幇間幇間 ( ほうかん、たいこ )...
View Article2570 竹本津賀太夫の碑(台東区浅草2-3・浅草神社)
大江戸のつよきひいきの力にぞかゝる千曳のいぶみはたつ台石には百数十名の名前が列記されている。文政 10年 ( 1850 ) 建立。 にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」と押して応援して頂くと、管理人の励みになります。
View Article2571 清水観音堂(台東区上野公園1-29)
清水 ( きよみず ) 観音堂は、寛永寺を開創した天海が京都清水寺を模して寛永八年 ( 1631 ) に創建した。当初、現在地より 100メートル余り北方の擂鉢 ( すりばち ) 山上にあったが、元禄七年 ( 1694 )...
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