2402 西村勝三墓(品川区北品川4-11-8・東海寺大山墓地)
西村 勝三 ( にしむら - かつぞう )生年: 天保 7. 12. 9 ( 1837. 1. 15 )没年: 明治 40. 1. 31 ( 1907 )明治時代の実業家。桜組製靴の創業者。江戸の下総国 ( 千葉県 ) 佐野藩 ( 佐倉藩支藩 ) の藩邸で付家老・平右衛門 ( 芳郁 ) と楽子の...
View Article2403 井上勝墓(品川区北品川4-11-8・東海寺大山墓地)
井上 勝 ( いのうえ - まさる )天保 14年 8月 1日 ( 1843年 8月 25日 ) - 明治 43年 ( 1910年 ) 8月 2日 ) は、日本の幕末 から明治時代 にかけて活躍した武士 ( 長州 藩士 )、官僚 。正二位 勲一等 子爵 。通称 ・弥吉。鉄道 発展に寄与し、日本の鉄道 の父と呼ばれる。生涯天保 14年 ( 1843年 )、長州藩 士・井上勝行の 3男として萩城...
View Article2404 五重石塔(江東区深川2-16-7・心行寺)
空風火水地五層の石塔で「元亨 四年」の銘がある ( 3月 24日 ) 。元亨 4年は ( 1324年 ) で、江東区内に現存するもののうちで最も古い年号を記録している。(案内板より) にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」と押して応援して頂くと、管理人の励みになります。
View Article2405 本居内遠墓(品川区北品川4-11-8・東海寺大山墓地)
本居 内遠 ( もとおり - うちとお )生年:寛政 4. 2. 23 ( 1792. 3. 15 )没年:安政 2. 10. 4 ( 1855. 11. 13 )江戸後期の国学者。尾張名古屋の浜田孝祖の子。幼名:...
View Article2406 渡辺忠綱墓(台東区池之端2-5-43・忠綱寺)
明日は早くでかけてしまう為、更新させていただきます。夕方の更新は何時も通りですので宜しく御願い致します。渡辺 忠綱 ( わたなべ - ただつな ) ?~ 元和 9年 7月 22日 ( ? - 1623 )幕臣。父、渡辺半蔵重綱 ( 三男 )。元和元年 ( 1615 ) 12歳で徳川秀忠に召され出仕。父・重綱から半蔵家の所領の内、武蔵国比企郡 3000石を与えられ幕臣となったが、元和 9年...
View Article2407 お祭佐七墓(品川区南品川2-8-23・天妙国寺)
お祭 佐七 ( おまつり - さしち )歌舞伎 ( かぶき ) 劇中の登場人物。俗謡に「本町二丁目糸屋の娘」と歌われた娘お糸と手代佐七の情話は、浄瑠璃 ( じょうるり )、歌舞伎に脚色され「小糸佐七物」という一系統をなしているが、その佐七を「お祭り」と異名のある威勢のいい鳶 ( とび ) の者に仕立てたもの。4世・鶴屋南北の『心謎解色糸 ( こころのなぞとけたいろいと...
View ArticlePR: ジープ・コンパス・ブラックホーク デビュー・フェア
2月7日(土)-8日(日)、Compass Blackhawkのフェアを開催 Ads by Trend Match
View Article2408 水神の森跡(墨田区堤通2-17・隅田川神社)
荒川の下流、鐘ヶ淵を越え大きく曲がったこの地は、隅田川の落ち口 ( 終点 ) で、かつて鬱蒼 ( うっそう ) とした森が広がっていました。人々からは水神の森とも浮洲 ( うきす )...
View Article2409 音丸墓(品川区南品川2-8-23・天妙国寺)
音丸 ( おとまる )1906年 ( 明治 39年 ) 12月 8日 - 1976年 ( 昭和 51年 ) 1月 18日 ) は、大正期 、昭和 時代に活躍した日本の歌手 。本名は永井満津子。東京市麻布箪笥町 生まれ。経歴1906年 ( 明治 39年 ) 12月 8日、老舗の履物屋の一人娘として生まれる。常磐津 の名取りだった祖母は彼女が 6歳になった 6月...
View Article2410 品川寺のイチョウ(南品川3-5-17・品川寺)
本樹は幹周り 5.35メートル、樹高 25メートル、推定樹齢約 600年という古木であるが、整然とした樹姿を見せ、その樹勢も極めて旺盛であり、幹や大枝からは、多くの乳が垂れている。本区内の数あるイチョウのなかでも、ひときわ目立つ存在であり、かなり離れた地点からも眺めることができ、壮観である。また約 600年という樹齢は、本寺が歴史の古い寺であることを実証するもののひとつである。(案内板より)...
View Article2411 八代目・三笑亭可楽墓(台東区谷中5-2-11・興禅寺)
八代目・三笑亭 可楽 ( 1898年 〈 明治 31年 〉 1月 3日 - 1964年 〈 昭和 39年 〉 8月 23日 ) は、東京府 東京市 下谷区 ( 現:東京都 台東区 ) 出身の落語家。本名、麹池 元吉 ( きくち - もときち )。出囃子 は『勧進帳』。所属は日本芸術協会 。文化放送 専属。精選落語会レギュラー。黒門町の経師屋...
View Article2412 北山寒厳墓(台東区橋場1-4-7・保元寺)
北山 寒厳 ( きたやま - かんがん )明和 4年 10月 26日 ( 1767年 12月 16日 ) - 寛政 13年 1月 18日 ( 1801年 3月 2日 )) は、江戸時代 中期の画家である。江戸 麻布 に生まれる。本名は馬孟煕、字 を文奎、通称 大太郎・権之助[1] 。幼名は伊賀丸・兵部侍郎・大太郎など。号 の寒厳は麻布の寒山房に生まれたことからという。また 17世紀のバロック...
View Article2413 桑田立斎墓(台東区橋場1-4-7・保元寺)
桑田 立斎 ( くわた - りゅうさい )( 1811 - 1868 )幕末の蘭方医。越後国 ( 新潟県 ) 新発田地蔵堂生まれ。村松正親の 3男。天保 8 ( 1837 ) 年江戸に出て、坪井信道の日習堂に入門して蘭医学を学んだ。12年 1月蘭方医・桑田玄真の養子となり、人痘接種に熱心であった養父からその手法を学んだ。13年...
View Article2414 蕃書調所跡(千代田区九段南1-6)
蕃書調所 ( 蛮書調所 / ばんしょしらべしょ ) は、1856年 ( 安政 3年 ) に発足した江戸幕府 直轄の洋学 研究教育機関。開成所 の前身で東京大学 の源流諸機関の一つ。概要ペリー 来航後、蘭学 に止まらない洋学 研究の必要を痛感した江戸幕府 は、従来の天文台 蛮書和解御用掛 を拡充し、1855年 ( 安政 2年 )、「洋学所」を開設した。しかしこれが開設直後の安政の大地震...
View Article2415 品川弥二郎像(千代田区九段南2-2-18・九段坂公園内)
品川 弥二郎 ( しながわ - やじろう )天保 14年 閏 9月 29日 ( 1843年 11月20日 ) - 明治 33年 ( 1900年 ) 2月 26日 ) は、日本 の武士 ( 長州藩 士)、政治家 。勲一等 子爵 。名は省吾、弥吉。号 は扇洲。別称に橋本八郎、松本清熊などがある。経歴天保 14年 ( 1843年 )、長州藩 の足軽 ・品川弥市右衛門の長男として生まれた。安政 5年 (...
View Article2416 大村益次郎像(千代田区九段北3-1-1・ 靖国神社境内)
大村 益次郎 ( おおむら - ますじろう、 文政 8年 5月 3日 ( 1824年 5月 30日 ) - 明治 2年 11月 5日 ( 1869年 12月 7日 ) は、幕末 期の長州藩 の医師、西洋学者、兵学者 である。維新の十傑 の一人に数えられる。長州征討 と戊辰戦争 で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制 において軍務を統括した兵部省 における初代の大輔 ( 次官 )...
View Article2417 齋藤弥九郎の練兵館跡(千代田区九段北3・靖国神社境内)
斎藤 弥九郎 ( さいとう - やくろう )寛政 10年 1月 13日 ( 1798年 2月 28日 ) - 明治 4年 10月 24日 ( 1871年 11月 14日 )) は、江戸時代 後期から幕末 にかけての剣術 家。流派 は神道無念流 。幕末江戸三大道場 の一つ「練兵館 」の創立者。諱 は善道 ( よしみち )。号 は篤信斎。本来の表記は「齋藤彌九郎」「篤信齋」。生涯生い立ち越中国 射水郡...
View Article2418 近江彦根藩井伊家屋敷跡(千代田区紀尾井町4-1・ホテルニューオータニ東京 敷地内)
彦根藩 ( ひこねはん ) は、近江国の北部を領有した藩。藩庁は彦根城 ( 滋賀県彦根市 ) に置かれた ( 入封当初は佐和山城 )。藩主は譜代大名筆頭の井伊氏。支藩として一時、彦根新田藩があった。略史慶長 5年 ( 1600年 ) 上野国高崎城主で 12万石を領していた徳川四天王の一人・井伊直政が関ヶ原の戦いの戦功により...
View Article2419 江戸水道の石枡と木樋(千代田区紀尾井町2・清水谷公園)
この石枡は、昭和四十五年 ( 1790 )の麹町通り拡幅小路の際に千代田区麹町三丁目二番地先の道路で出土した玉川上水幹線 ( 本 ) の一部です。江戸は、慶長・寛永期と時を経て人口が増加すると、小石川上水や溜池上水といった旧来の上水だけでは水不足となり、新しく玉川上水が開発されます。玉川上水は、承応二年 ( 1653 ) に着工され、翌三年 ( 1654 )...
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