2192 八方睨みの亀の絵(江島神社・奥津宮)
江戸時代、享和 3年 ( 1803年 ) 画家・酒井抱一 ( さかい - ほういつ ) が描いた「正面向亀図」です。 どこからみても睨んでいる様に見えるところから「八方睨みの亀」と呼ばれています。 正面向きの亀を桐材に金箔を押し、強い線で描かれ、もとは胡粉 ( ごふん )、緑青 ( ろくしょう )、丹色 ( にいろ ) で彩色されていました。...
View Article2193 双葉山定次墓(東日暮里5-41-14・善性寺)
双葉山 定次[2]( ふたばやま - さだじ、1912年 2月 9日 - 1968年 12月 16日 ) は、大分県宇佐郡天津村布津部 ( 現・宇佐市下庄 ) 出身の元大相撲力士。本名は龝吉 定次 ( あきよし - さだじ )。 来歴 入門前 5歳の時、吹き矢が自身の右目に直撃して負傷し、これが元で右目が半失明状態になったが、少年時代は成績優秀で普通に出世を目指していた。...
View Article2194 15代・春日山(名寄岩静男)墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
明日は父親の御見舞いで朝早く出かけてしまう為、お昼の新規記事の更新が出来ません 申し訳ありませんが、いま更新させて戴きます。 夕方の更新は『午後 6時過ぎてしまう』と思いますが、宜しく御願い致します。 名寄岩 静男 ( なよろいわ - しずお、1914年 9月 27日 - 1971年 1月 26日 ) は、北海道名寄市出身 ( 出生地は北海道小樽市 ) の元大相撲力士。本名は岩壁 静雄 (...
View Article2195 若浪義光(初代・大島)墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
若浪 義光 ( わかなみ - よしみつ、1914年 5月 6日 - 1982年 12月 30日 ) は、樺太恵須取郡恵須取町出身で 1940年代に活躍した立浪部屋所属の元大相撲力士。 最高位は東前頭 19枚目 ( 1940年 5月場所 )。 北海道上川郡東川町生まれであるが、9歳のとき渡った樺太で育ったために樺太を出身地としていた。 本名は若林義光 ( わかばやし - よしみつ )。...
View Articleビックリでした
本日、入院中の父親を御見舞い帰りの事・・・ 最寄りの駅、千葉県香取郡の「佐原駅」なのですが、ちなみに先週『佐原の大祭』も終了しました。 佐原の大祭といえば「佐原囃子」なのですが、このお囃子 神田囃子、京都祇園囃子と並ぶ日本三大囃子の一つなのです。 そして『江戸の様々な文化を取り入れようとした佐原の町衆達が、文化文政期に活躍した義太夫奏者・豊竹式太夫を客人として迎え入れ、構想...
View Article2196 斉藤正言墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
きょうは谷中を散歩してきます。 お昼の新規記事の更新が出来ませんので、早いですが更新させて戴きます。 夕方の更新は何時も通りですので、宜しく御願い致します。( キイロスズメバチがいたら嫌だなぁ・・・) 斉藤 正言 ( さいとう - しょうげん / まさこと ) 天保 6年 ~ 大正 2年 9月 23日 ( 1835 - 1913 ) 兵隊に麦飯給食を始めた陸軍大佐。 父、斉藤民右衛門 ( 長男...
View Article2197 杉山寧墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
杉山 寧 ( すぎやま - やすし、1909年 10月 20日 - 1993年 10月 20日 ) は、日本画家、日本芸術院会員、文化勲章受章者。 来歴 東京府東京市浅草区浅草西三筋町 ( 現在の東京都台東区三筋一丁目、二丁目西側辺り ) に文房具店を営む杉山卯吉の長男として生まれる。 本籍・神奈川県。 1928年、東京美術学校 ( 現在の東京芸術大学美術学部 ) に入学。...
View Article2198 阿部正邦墓(台東区・寛永寺谷中墓地)
阿部 正邦 ( あべ - まさくに、万治元年 4月 19日 ( 1658年 5月 21日 ) - 正徳 5年 1月 27日 ( 1715年 3月 2日 )) は、江戸時代前期の大名。武蔵国岩槻藩 5代藩主、丹後国宮津藩主、下野国宇都宮藩主、備後国福山藩初代藩主。阿部家宗家 5代。 岩槻藩第 3代藩主・阿部定高の次男。正室は山内豊昌の娘、継室は春日氏。子に阿部正羽 ( 三男 )、阿部正福 ( 四男...
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View Article2199 二代目・西川喜洲墓(台東区谷中5-2-25・常在寺)
西川 喜洲 ( にしかわ - きしゅう ) 明治 37年 ~ 平成 5年 5月 23日 ( 1904 - 1993 ) 日本舞踊正派西川流宗家。本名、堀口敏子。東京出身。 初代・西川喜州 ( 喜代春 ) の幼女となり、日本舞踊を師事。 6歳で神田南明倶楽部で初舞台。 大正 12年 ( 1923 ) 初代が隠居し喜州を名乗ると、2代・西川喜代春を襲名。 養母 : 没後昭和 7年 ( 1932 )...
View Article2200 宮地要三墓(台東区谷中5-3-17・安立寺)
宮地 要三 ( みやじ - ようぞう ) 元禄 6年 ~ 明和 6年 10月 8日 ( 1693 - 1769 ) 和蘭外科医。名、高徳・立蔵。 作州津山 ( 岡山 ) 出身。 京都で儒学を伊藤東涯に、浅井周的に医学を学ぶ。 のち長崎で医学を高原道意に学ぶ。 続いて、備前の山本周悦にも医学を学ぶ。 後に江戸に出て、八丁掘で医師を開業。 御目見え格になったという。77歳。 著書:「三玄撮要」。...
View Article2201 初代・桂小南墓(台東区谷中5-2-11・興禅寺)
桂 小南 ( かつら - こなん ) 落語の名跡。現在は空き名跡となっている。 ● 初代・桂小南 ( 1880年 5月 24日 - 1947年 11月 21日 ) 初代 初代・桂小南 ( かつら - こなん、1880年 5月 24日 - 1947年 11月 21日 ) は、本名: 岩田秀吉。67歳没。 東京下谷の生まれ。 幼少時に大阪に移り、11歳の時、2代目・桂南光 ( 後の桂 仁左衛門 )...
View Article2202 河野静雲句碑(台東区西浅草3-15-6・日輪寺)
あとやさき 百寿も露の いのち哉 河野静雲の句碑です。 ● 河野静雲 俳人。 福岡市生。 時宗総本山執事・宮城県亘理町専念寺住職等務める。 俳句は虚子に師事し、『ホトトギス』同人。 句風は滑稽味にあふれ軽妙。 句集に『閻魔』等。 昭和 49年 ( 1974 ) 寂、86才没。 河野 静雲 にほんブログ村...
View Article2203 渡辺文三郎墓(台東区谷中5-4-7・全生庵)
● 渡辺 文三郎 ( わたなべ - ぶんざぶろう ) 嘉永 6年 ~ 昭和 11年 2月 1日 ( 1853 - 1936 ) 洋画家。 号、薇山。岡山出身。 子供のとき円山派の日本画を学ぶ。 上京して五姓田芳柳に師事。 第 1回・2回の内国勧業博覧会に出品し受賞。 東京英語学校教授・東京大学予備門画学教授。...
View Articleブログ再開のお知らせ
突然の「ブログ休止」という事でビックリされた方が多かったと思いますが・・・ 入院中の父親の体調が急変し亡くなりました。 以前の記事にも書きましたが千葉県の方に入院していた為、父親の搬送等々を業者さんと打ち合わせたりでバタバタしておりました。 母親も喘息で体調が不調の為、小生と相方で段取りしたので全てが順調とは言えませんが、大きな失敗も無く終了させ父親と帰宅しました。...
View Article2204 四代目・桂文楽墓(台東区谷中5-4-7・全生庵)
4代目・桂 文楽 ( かつら - ぶんらく、天保 9年 11月 10日 ( 1838年 12月 26日 ) - 明治 27年 ( 1894年 ) 1月 28日 ) は、主に明治期に活躍した落語家。本名、新井文三。 初めは天狗連で鶴丸亭小きんと名乗っていた。 4代目・桂文治門下に入って文七から文鏡となる。...
View Article2205 赤穂藩浅野家の墓(豊島区西巣鴨4-8-28・妙行寺)
左から浅野内匠頭長矩公夫人瑶泉院殿供養塔、浅野内匠頭長直 ( 長矩の祖父 ) 公夫人高光院殿之墓、浅野大学長廣 ( 長矩の弟 ) 公夫人蓮光院殿之墓がある。 ● 瑤泉院 瑤泉院 ( ようぜんいん、延宝 2年 ( 1674年 ) - 正徳 4年 6月 3日 ( 1714年 7月 14日 )、生年については異説も ) は元禄赤穂事件で有名な浅野長矩の妻である。 名は阿久里 ( あぐり )(...
View Article2206 木の実ナナ歌碑(墨田区向島5-4-4・長命寺)
「風のように踊り 花のように恋し 水のように流れる」 木の実ナナ 木の実 ナナ ( きのみ - ナナ、 本名:池田 鞠子 ( いけだ - まりこ )、1946年 7月 11日 - ) は、日本の女優、歌手である。所属事務所はアトリエ・ダンカン。 東京都向島区寺島町 ( 現在の墨田区向島 ) 出身。 身長 159cm、血液型はB型。 来歴 出身地付近は鳩の街と呼ばれた歓楽街だった。...
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