4代目・桂 文楽 ( かつら - ぶんらく、天保 9年 11月 10日 ( 1838年 12月 26日 ) - 明治 27年 ( 1894年 ) 1月 28日 ) は、主に明治期に活躍した落語家。本名、新井文三。
初めは天狗連で鶴丸亭小きんと名乗っていた。
4代目・桂文治門下に入って文七から文鏡となる。
その後幇間に転じ、松廼家文三、松廼家〆寿、荻江文三と名乗って新富町の遊郭や吉原で活動していたが、後に落語家復帰し 6代目・桂文治門で 1868年頃に 4代目・文楽襲名。
口癖で「デコデコ」とよく言っていたため、「デコデコの文楽」と呼ばれた。
人情噺が得意で、『音羽丹七』は絶品であったという。他にも得意ネタには『居残り佐平次』『たちきり』などがあった。
特異なポーズ ( 両手のこぶしをしっかり握りしめ、自己の前に甲を下にして置く ) を崩さずに噺を続けていたことで知られた。
後に落語界のドンとなった 5代目・柳亭左楽は、デコデコの文楽に憧れて落語界に入っており、高座中のポーズも模倣していた。
1894年没。享年 57歳。
(wikiより)
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