西郷頼母 ( 1830 ~ 1903 ) は、江戸時代末期に会津藩家老として、藩主・松平容保の京都守護職就任をとりやめるよう強く進言した。
又戊辰戦争では会津の幸福を願い和議恭順を主張した憂国の士である。
慶応 4年 ( 1868 ) 8月 23日西軍が若松城下に侵入、西郷頼母は城中にあったが、頼母の母・律子、妻・千重子など家族 9人と一族 12人が戦いの足手まといとならないよう自刃し果てたのである。
(案内板より)
関連情報
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393 中島信行墓(神奈川県中郡大磯町大磯・大運寺)
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556 西郷邸跡(福島県会津若松市追手町5-3 )
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1282 西郷四郎像(会津若松市東山町大字石山字院内1・会津武家屋敷)
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1375 なよたけの碑(福島県会津若松市北青木13-33・善流寺)
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1220 保科有隣墓(港区西麻布2-21-34・長谷寺)
西郷頼母と妻・千恵子墓は、16日にup予定で御座います。
それまで少々御待ち下さいませ。