通常の小説部門が「長編部門」と「短編部門」しかないとはいえあまりの低評価であり、筒井康隆 ( ちなみに、筒井は小松左京とならぶ、7回の最多受賞者である ) は自身の編纂する『日本SFベスト集成』の解説で、それを嘆いている。
声の網 ( 1970年 ) 電話線を経由する情報 ( 血圧や体温なども感知する ) をコンピュータに管理させている。
コンピュータはいたるところに設置され、すべてネットワークでつながっている。
人間たちは好きな時に好きな場所で必要な情報を取り出している ( インターネットの普及、ユビキタス社会の実現 )。
おーい でてこーい ( 1958年 ) ある日突然出来た深い底なしの穴に、生産することだけ考えていて、その後始末は誰も考えていなかった人間たちは、これ幸いとばかりに都会のゴミや工場の排水や放射性廃棄物など、物を生産することで発生した不用なものをどんどん捨てていく ( 公害、生態系の破壊、大量消費社会 )。
白い服の男 ( 1977年 ) 戦争に関する事物、事象などあらゆるものを封印してねじ曲げて管理された世界を描く ( 表現の自由、言論の自由などに踏み込んだ監視社会。有害情報規制、児ポ法改正などに含まれる単純所持規制問題など )。
作品は20言語以上に翻訳され[14]、世界中で読まれている。
寓話的な内容の作品が多く、星も自らを「現代のイソップ」と称していた。その柔軟な発想と的確に事物の本質をつかんだ視点の冷静さから多くの読者を獲得したほか、学校教科書 ( 光村図書出版『国語 小学5年』に掲載された「おみやげ」、東京書籍『NEW HORIZON』に掲載された「おーいでてこーい ( 英語の教科書であるため、英訳され『Can Anyone Hear Me?』のタイトルで収録 )」など ) やテレビ番組『週刊ストーリーランド』(「殺し屋ですのよ」など)・『世にも奇妙な物語』 (「おーい でてこーい」「ネチラタ事件」など ) の題材に採用されている。
評論家の浅羽通明は自身の評論内で星のショートショートをしばしば引用し、どんな時代においても通用する星作品の「普遍的な人間性への批評」を強調している。
また、筒井康隆は星の作品について、ストイシズムによる自己規制と、人間に対する深い理解、底知れぬ愛情や多元的な姿勢が、彼の作品に一種の透明感を与えていると評した。
その一方で日本人が小説において喜ぶような、怨念や覗き趣味、現代への密着感やなま臭さや攻撃性が奪われ、結果として日本の評論家にとっては星の作品が評価しづらくなり、時として的はずれな批評をされることになったと指摘している。
また、星は後期の作品においてその形式を大きく変化させたが、筒井はそのことにも触れ、星は数十、数百に及ぶ膨大な対立概念・視点・プロット・ギャグ・ナンセンスのアイデアを持っており、後期の作品に見られる「価値の相対化」「ラスト一行の価値転換によるテーマ集約の排除」といった変化は、彼の視点のアイデアのうちのほんの一例に過ぎないと評価している[15]。
挿絵の多くは真鍋博や和田誠が担当している。真鍋とは特に初期からの名コンビで、真鍋の挿絵を星がセレクトした『真鍋博のプラネタリウム 星新一の挿絵たち』という本も出している。
アメリカの一コマ漫画の収集家でもあり、それらをテーマ別に紹介した『進化した猿たち』( 全 2巻、文庫は 3巻 ) という本も刊行している。
さらに官僚の壁に立ち向かい、そして敗れた父・一を描いた『人民は弱し 官吏は強し』、明治時代の新聞の珍記事を紹介した『夜明けあと』のようなSF以外の近代史ノンフィクションや『きまぐれ - 』で始まるタイトルのエッセイ集なども多数残している。
人物
容貌や作風とは裏腹に、実生活でもギャグを連発するなど「奇行の主」と呼べる側面があった。
SF仲間の集まりなど、気を許せる場では奇人変人ぶりを遺憾なく発揮していた。
同行している作家仲間を驚かせることもしばしばだったという。
特に筒井の初期短編は、星の座談でのギャグに大きく影響を受けているといわれる[16]。
SF作家仲間たちと西新宿の台湾料理店 ( 山珍居 ) に集まり、SF的な雑談に興じたが、中でも星の「異常な発想の毒舌発言」はその中でも群を抜いていて、他のSF作家たちの回想文等で神話的に語られている。
その一部は『SF作家オモロ大放談』( いんなあとりっぷ社、1977年。のちに『おもろ放談』( 1981年 ) と改題され角川文庫に収録 ) で読むことができる。
平井和正は星の異常な発言をテーマにした短編小説「星新一の内的宇宙 ( インナースペース )」を発表しており、作家仲間が集まると自然と星を中心に話題が広がっていた様子が描写されている。
しかし、文庫解説等では ( 育ちがいいこともあり ) しばしば紳士的な人物と書かれた。
世代・生育環境が近いこともあり北杜夫とも親交が深かった。
また、礼節を欠いて接してくる人間には距離を置いて接していた。
星製薬が人手に渡った後も永らく、星薬科大学評議員という肩書きがあった。
なお、手塚治虫の漫画『ワンダースリー』の主人公・「星真一」の名前は彼に由来する。
星新一自身は、手塚の息子の手塚眞にちなんでいる可能性も考えていた[17]。
『三田文学』1970年10月号で、福島正実と「SFの純文学との出会い」という対談をした際、星が「ネパールに、ヒューマニズムに燃えた外国の医師団が乗り込んで病気を治し、死亡率をさげた結果、人口が増えて貧民が多数発生した。
一種のヒューマニズム公害と言える」と発言したところ、同席していた編集者は「公害が文学になるのですか?」「問題があるのはわかりますが、どうして文学がそんなものに、こだわらないといけないのですか?」と、的外れな応答をした。
星はあきれて、「文学が想像力を拒否するものだとは思わなかった。
ぼくが純文学にあきたらなくなった理由がわかった」と発言した。
SF的発想に対する「純文学側の無理解」として、有名なエピソードである。
作品のアイデア同様、他の作家とは着眼点が異なり、第 1回奇想天外SF新人賞の選考委員として、小松や筒井がほとんど問題にしなかった新井素子の『あたしの中の……』を強力にプッシュし ( 結果は佳作入選 )、作家として活躍していくきっかけを作った[18]。
ただ一人、選考委員を任じたショートショート・コンクール ( のちにショートショート・コンテストと名称変更 ) からも数千にも及ぶ作品の中から、後にプロとして確固たる活躍をしていく作家を多数発掘しており、その慧眼ぶりを発揮しつつ後進に道を拓いている。
とはいえ、星新一ショートショート・コンテストとほぼ同時期に募集・発表があったショートショート・コンテスト「ビックリハウス」のエンピツ賞受賞作については「感性を非常に重視した作品」が選ばれており理解が及ばず、お手上げの状態だったという[19]。
生前は自己の作品の映像化・戯曲化をほとんど許さず、アニメ化を持ちかけた製作会社ガイナックスの武田康廣に「自分の作品がいじくられるのは真っ平ごめんだ。やるなら俺が死んでからにしてくれ。それなら文句は言わない」と断っている。
小松はこの件を聞き、「星さんならそう言うだろう」と武田に語り、自作の作品のテレビアニメ化『小松左京アニメ劇場』を快諾したという[20]。
例外的に短編のいくつかが、アニメーション作家の岡本忠成によって人形アニメーションとして在命中に製作されている ( #星新一作品の映像化参照 )。
なお、作品にほとんど反映されていないため看過されがちだが、星は化学の修士号を持ち、その方面の著書もある、れっきとした科学者出身SF作家である。
また、「リスクもなく大きなもうけが出る」と称して大量の人から金銭を集める詐欺行為の被害者について、「だまされた者は、欲に目がくらんだ者であり、救ってやる必要などない」などと辛辣な内容をエッセイに書いていた[21]。
別のエッセイ集『できそこない博物館』では、「不渡り手形をつかまされれば、誰だって人間不信になる」といった一文を目にすることができる。
ドイツ文学系の作家たちやドイツ留学経験者ほど明確なものではないが、ドイツびいきの感覚があり、エッセイ「クマのオモチャ」では「ドイツを全面的に信用している」「いい意味での恐るべき民族である」と手放しに近い賛辞を呈していた。
同じくエッセイ「名前」では長女の名前を誕生月のドイツ語 ( ユーリ ) から発想した経緯を綴っている ( ともに『気まぐれ星のメモ』所収 )。
また、星作品には国籍は明確な外国人がほとんど登場しないが、『ほら男爵現代の冒険』の主人公や『気まぐれ指数』にも重要な脇役で在日ドイツ人が登場している。
青年期と、かなりのブランクを経て中年期以降にもクラシック音楽を愛聴していた。クラシックの中で最も好きな曲に、ベートーヴェン『大公三重奏曲』を挙げ、コルトー、ティボー、カザルスの演奏盤を愛聴していた[22]。
小松左京によると、星には少年愛の傾向があり、ひところはピーター ( 池畑慎之介☆ ) に入れ上げて「ピーターに会わせてくれるんだったら、とにかく大長編書くとかね、つまらんこといってた」という[23]。
その後、郷ひろみに入れ上げていた時期もあり、「彼はね、一人で支那まんじゅう食いながら、郷ひろみのテレビ見てんだそうですけど、鬼気迫るな」とも小松は発言している[24]。
ウイスキーが好きで特にサントリーの角瓶を愛飲していた。
エジプト旅行に行く際、免税店で買い求めたが取り扱っておらず、仕方なくオールドを買った。
角が置かれていなかったことをひじょうに残念がり、「角なんて飲めなかったな、昔は」「飲めなかった。高級品だったんだ。手が出なかった。それが、いまじゃ、ああいう所に置いてないんだから。喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか」と発言している[25]。
「星新一ショートショート・コンテスト」、「作品」、「星新一に関する作品」については、『星新一ウイキペディア』を御覧下さいませ。 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E6%96%B0%E4%B8%80
エピソード
未来における鶴の進化型、ホシヅルを生み出し、サイン代わりに描いていたことでも知られる。
星新一の逝去後、彼の誕生日 9月 6日は「ホシヅルの日」とされ、友人のSF作家たちが集って彼を偲ぶ会が催される。
きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ
きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよは、公立はこだて未来大学が2012年9月6日に開始を発表したプロジェクト。
松原仁 ( はこだて未来大学 )、中島秀之 ( はこだて未来大学学長 )、角薫 ( はこだて未来大学 )、迎山和司 ( はこだて未来大学 )、佐藤理史 ( 名古屋大学 )、赤石美奈 ( 法政大学 ) の 6人でプロジェクトチームを結成した。
星新一のショートショート作品の解析を行い、プログラム的に体系化、生成アルゴリズムの検討と共にトライアンドエラーを繰り返し、2017年までに星新一作品と同等かそれ以上のショートショートを人工知能によって自動生成することを目指している[27]。
瀬名秀明が小説の評価方法の検討を行うなど顧問を務める。
脚注
1. 北杜夫との対談「わが習作時代とSF文学と」では、北杜夫から好きな外国作家を聞かれ「シェクレー、ブラッドベリー、ハインライン、フレドリック・ブラウンもうまいし」と答えている(北杜夫『マンボウ談話室』p.183、講談社、1977年)。
2. 星新一『きまぐれ読書メモ』p.20(有楽出版社、1981年(昭和56年))
3. 『きまぐれ暦』p.225(新潮文庫、1979年(昭和54年))
4. 『きまぐれ読書メモ』(有楽出版社)P.108
5. ただし、星自身は「先日、東大の大学院の女性の会(妙なのがあるな)に呼ばれ、話をした。修士課程を二つ出て、博士課程に在籍の人もいた。まいったね。それから私は、自分の略歴から、大学院に行ったことを削るようにしている。学歴で作品が書けるわけじゃない」と述べている。『気まぐれスターダスト』p.75(2000年、出版芸術社)を参照。
6. 「星新一年譜」(『別冊新評 「星新一の世界」 76 AUTUMN』、新評社、1976年(昭和51年))、p202。
7. その後、1970年の『日本紳士録』第58版にも「星薬科大理事」との肩書が記載されている。
8. ただし最相葉月は『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社、2007年(平成19年))のpp.208-217で「矢野からしきりに『セキストラ』を読むよう勧められた乱歩は、一読してこれは傑作だと思い『宝石』に掲載することを考えたが、自分が責任編集をしている雑誌に自分が推薦するのではどうも具合が悪い。そこで乱歩が大下宇陀児に『提灯もち』(『矢野徹・SFの翻訳』)を依頼し、九月末発行の十一月号でデビューさせることになった」「大下が推賞したのは事実であるとしても、大下が『発掘』したというのは宣伝用の惹句で、矢野が書き残している通り、乱歩から依頼された大下の『提灯もち』が、いつのまにか大下の『発掘』という定説になってしまった」と述べている。その根拠として当事者だった矢野の証言の他、肝心の大下本人の推賞文が短い一文しか存在しないこと、それに比して乱歩が『宝石』の『セキストラ』末尾に記したルーブリックは約800字と長く、作品の具体的内容にまで言及して絶賛していることなどを挙げている。
9. 星新一『きまぐれ遊歩道』p.90-92(新潮文庫、1996年)。星は「高級住宅地なのだろうが、高級さをひけらかさないところがいい」「戦前の本郷の屋敷町にも、そういうムードのとこがあった」と述べている。
10. 最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』上、新潮社〈新潮文庫〉、2010年、11-18頁。
11. 1968年 第21回 日本推理作家協会賞
12. 日本SF大賞
13. 『きまぐれ読書メモ』p.219(有楽出版社、昭和56年(1981年))
14. 1985年時点で英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語・中国語・ロシア語・朝鮮語・ルーマニア語・ポーランド語・チェコ語・インドネシア語・ウクライナ語・ノルウェー語・ラトビア語・リトアニア語・ベンガル語・セルビア・クロアチア語・マジャール語・アゼルバイジャン語・エスペラントの20言語(深見弾「星新一―億の読者をもつ作家」(新潮文庫「たくさんのタブー」巻末)より)。
15. 『ボッコちゃん』解説(新潮社)
16. 最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人(下)』新潮文庫P.161~163
17. 星新一「文句を言い忘れた『W3』の主人公名」『朝日ジャーナル臨時増刊 手塚治虫の世界』朝日新聞社、1989年。
18. http://moto-ken.cool.ne.jp/profile/senko.html
19. 『きまぐれ読書メモ』(有楽出版社)P.178
20. 武田康廣『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを創った男たち』ワニブックス、2002年、p120-p121。
21. 『きまぐれ遊歩道』(新潮文庫)P.111~112他
22. 星新一『きまぐれ遊歩道』p.76(新潮文庫、1990年)
23. 北杜夫『怪人とマンボウ』p.118(講談社、1977年)
24. 北杜夫『怪人とマンボウ』p.119(講談社、1977年)
25. 佐々木清隆『さよならバーバリー 2』(1998年)http://www.asahi-net.or.jp/~jg3k-ssk/hoshi2.html
26. 最相葉月『星新一(下)』(新潮文庫)P.267
27. 5年以内にショートショートの公募に匿名で応募して入賞することを目指すとしている。
関連項目
星新一ショートショート
ホシヅル
出澤三太 - 異母兄
常盤新平
死者を笞打て - 鮎川哲也の推理小説で、執筆当時の推理文壇関係者が多少名前を変えて登場しており、星も星野新一として登場。また登場人物のひとりが酒豪のため、男にもかかわらず「ボッコちゃん」と呼ばれている。
外部リンク
公式サイト ( http://hoshishinichi.com/
)
(wikiより)
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