2459 平山省斎墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
幕末の外国奉行・江戸幕府若年寄・明治初期の宗教家。従六位。初名、田村久蔵。前名、黒岡謙次郎。名、敬忠。字、安民。号、省斎・素山。父、陸奥三春藩士・黒岡活円斎 ( または旗本・岡田甚平? )。江戸に出て叔父 : 奥御祐筆組頭・竹村七佐衛門に寄宿、安積艮斎に師事。幕臣・平山氏の養子として幕臣となり、嘉永 4年 ( 1851 ) 御目付役。安政元年 ( 1854 )...
View Article2460 天眼寺殿・舞姫墓(台東区谷中1-2-14・天眼寺)
天眼寺殿 ( てんがんじどの )・藤姫 天和元年? ~ 元禄 11年 6月 23日 ( 1681 ? - 1698 )山形藩主・松平忠弘室。父、肥後国熊本藩初代藩主・細川忠利。母、側室。父方祖母は、明智光秀の娘・細川ガラシャ ( 玉子 )。天眼寺を開基。17歳没。墓は、天眼寺墓地 ( 谷中 1- 2- 14...
View Article2461 宮城玄魚墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
宮城玄魚 ( みやぎ - げんぎょ / みやぎ - はるな )・桜素亭玄魚 / 素亭玄魚 / 宮城梅素 ( みやぎ - ばいそ )文化 13年 12月 ~ 明治 13年 2月 7日 ( 1816 - 1880 )・・・文化 14年説あり。書画家・経師屋。本名、宮城喜三郎。父、宮城彦三郎。東京日本橋石...
View Article2462 飯田直之丞墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
飯田宣之 ( いいだ - のぶゆき ) / 飯田直之 ( いいだ - なおのじょう ) 天保 10年 9月 11日 ~ 明治 40年 8月 25日 ( 1839 - 1907 )彰義隊員のち徴士・東京養育院副院長。初名、丹野蔵之助のち直之丞。号、古堂。父、丹野定右衛門 ( 三男 )。宮城県出身。仙台で松本亮之助に師事し朱子学を学ぶ。のち藩主に従い江戸に出る。京阪で遊学。図書頭・林鶯渓に入門。慶応...
View Article2463 赤井景韶墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
赤井景韶 ( あかい - かげあき ) 安政 6年 9月 ~ 明治 18年 7月 27日 ( 1859 - 1885 )上越地方の急進的青年民権家。父、越後高田藩士・赤井喜平 ( 長男 )。中頸城郡高田木築町出身。幼名、乙五郎。赤井家は高田藩の下級士族で、父・喜平は明治元年 ( 1868 )...
View Article2464 池田蕉園墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
池田 蕉園 ( いけだ - しょうえん )1886年 5月 13日 - 1917年 12月 1日 ) は、明治 から大正 にかけての女性浮世絵師 、日本画家 。本名・池田 ( 旧姓 : 榊原 ) 百合子 ( あるいは由理子[1] )。夫も日本画家の池田輝方 。生涯出自1886年 ( 明治 19年 ) 5月 13日、東京 ・神田...
View Article2465 池田輝方墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
池田輝方 ( いけだ - てるかた )明治 16年 ( 1883年 ) 1月 4日 - 大正 10年 ( 1921年 ) 5月 6日 ) は明治 、大正 期の浮世絵師 、日本画家 。本名・池田正四郎。女性日本画家・池田蕉園 の夫。生涯明治 16年 ( 1883年 ) 1月 4日、東京市 京橋区 ( 現在の東京都 中央区 ) 木挽町で建具 職人・池田吉五郎の次男として誕生。明治 28年 (...
View Article2466 清水彦五郎墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
清水彦五郎 ( しみず - ひこごろう )( 1855 * ‐ 1913 )明治時代の官僚。嘉永 ( かえい ) 7年 11 月19日生まれ。もと筑後 ( ちくご )( 福岡県 ) 柳河 ( やながわ ) 藩士。藩の貢進生として開成学校に学ぶ。明治 17年文部省に入り、のち帝国大学書記官兼舎監となる。31年東京商業学校 ( 現一橋大 ) 校長に転じ、34年東京帝大書記官に帰任。大正 2年 4月...
View Article2467 江崎岩吉墓(台東区谷中1丁目・谷中霊園)
江崎 岩吉 ( えさき - いわきち )1890年 12月 1日 - 1986年 1月 16日 )は、日本海軍 の軍人。最終階級は海軍技術中将 。経歴東京市 議・江崎礼二 の四男として東京 で生まれる。東京府立第三中学校 、第一高等学校 を経て、1916年 4月、海軍造船学生となり、1917年 7月、東京帝国大学 工科大学 ( 後の工学部 ) 造船学科 ( 後の船舶工学科 )...
View Articleでぶそば(横浜市栄区笠間2-6-7)
相方が帝釈天近くの出身なもので「渥美清」さん関連の場所には行きたくなるようです( 笑 )。何度の行こうと思っても行けなかった場所に、ようやく行って来ました。この日は鎌倉霊園で「高倉 健」の墓所を探しても見つからず...
View Article2468 佐藤一斎之碑(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
佐藤 一斎 ( さとう - いっさい )安永 元年 10月 20日 ( 1772年 11月 14日 ) - 安政 6年 9月 24日 ( 1859年 10月 19日 )) は、美濃国 岩村藩 出身の著名な儒学者 。諱 は担。通称 は捨蔵。字を大道。号 は一斎のほか、愛日楼、老吾軒。生涯安永元年 10月 20日 ( 1772年 11月 14日 )、岩村藩 家老・佐藤信由の次男として、江戸浜町 (...
View Article2469 松本良甫墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
松本 良甫 ( まつもと - りょうほ、文化 3年 ( 1806年 ) - 明治 10年 ( 1877年 ) 2月 6日 ) は、幕末 から明治 初期の蘭方医師 。祖父は幕府奥医師の松本善甫、父は町医師の松本良甫。松本良順 の養父。生涯幕府奥医師であった祖父・善甫が天明 6年 ( 1786年 ) 改易され、以来民間にあったが、弘化 3年 ( 1846年 ) 8月 3日、再び幕府に召出され...
View Article2470 新田俊純墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
新田 俊純 ( にった - としずみ、明治維新 以前は岩松 俊純 ( いわまつ - としずみ )、文政 12年 6月 8日 ( 1829年 7月 8日 ) - 明治 27年 ( 1894年 ) 3月 15日 ) は、江戸時代 の交代寄合 旗本 で岩松氏 の当主。概要上野国 新田郡 下田嶋領主・岩松道純 の長男 ( 正室腹 )。母は中山主馬信泰 の二女。 正室は関千代子 ( 関播磨守盛泰 の娘...
View Article三笑亭夢丸さん中いん頭がんのため死去、69歳
落語家、三笑亭夢丸(本名・坂田宏=さかた・ひろし)さんが7日午前5時40分、中いん頭がんのため東京都内の病院で死去したことが分かった。69歳だった。落語芸術協会がファクスで発表した。2010年に発症した中いん頭がんの治療を行い寛解し復帰したが、14年3月、のどの不調から再度治療を受け療養中だった。● 三笑亭夢丸三笑亭 夢丸 ( さんしょうてい - ゆめまる )1945年 ( 昭和 20年〉10月...
View Article2471 木村敬弘墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)
木村敬弘は明治 5年 ( 1872 ) に没。総三義兄。てる之兄。右から、木村敬弘墓。相楽総三の墓。左真ん中が、木村家の墓。 にほんブログ村 ↑のバナーを「ポチッ」と押して応援して頂くと、管理人の励みになります。
View Article2472 安藤庄太郎君之碑(台東区谷中4-2-5・瑞輪寺)
安藤 庄太郎 ( あんどう - しょうたろう ) 安政 4年 10月 ~ 明治 44年 3月 23日 ( 1857 - 1911) 土木請負業「安藤組」創業者。父、惣六 ( 長男 )。母、佐藤氏。岐阜県稲葉郡長良村出身。家業は農業であったが、少年に時期に東京神田で瓦業をしていた叔父を頼って上京。叔父の元で働くが、煉瓦建築の時代が到来すると見越して、明治 6年 ( 1873 )...
View Article2473 井上毅墓(台東区谷中4-2-5・瑞輪寺)
井上 毅 ( いのうえ - こわし )天保 14年 12月 18日 〈 1844年 2月 6日 〉 - 明治 28年〈 1895年 〉 3月 15日 ) は、日本の武士 、官僚 、政治家 である。子爵 。法制局長官 、文部大臣 などを歴任する。概説肥後国 に熊本藩 家老 ・長岡監物 の家臣・飯田家に生まれ井上茂三郎 の養子になる。必由堂 、時習館 で学び、江戸 や長崎へ遊学。明治維新後には開成学校...
View Article2474 大久保主水墓(台東区谷中4-2-5・瑞輪寺)
名は忠行、または藤五郎と称す。三河国の武士で、徳川家康に仕え三百石を給されていた。一向一揆のときに足を負傷してから戦列に加われず、餅菓子を作る特技を生かし、以後、家康に菓子を献じたという。天正十八年 ( 1590 )...
View Article2475 瑞光石(荒川区南千住6-60-1・素盞雄神社)
● 瑞光石 ( ずいこうせき )御祭神すさのお大神・あすか大神が光を放ち降臨した小塚の中の奇岩を「瑞光石」と言います。 文政 12年 ( 1829 ) 編纂の「江戸近郊道しるべ」には、千住大橋架橋の際、この瑞光石の根が大川 ( 現隅田川 ) まで延びていた為に橋脚が打ち込めなかったという伝承が紹介されています。...
View Article2476 徳川慶喜墓(台東区谷中7-5-24・谷中霊園)
徳川 慶喜 ( とくがわ - よしのぶ ) は、江戸幕府 第 15代征夷大将軍 ( 在職:慶応 3年 ( 1867年 ) ‐ 慶応 4年 ( 1868年 ))。江戸幕府最後の将軍であり、歴史上征夷大将軍に任じられた最後の人物。御三卿 一橋徳川家 の第 9代当主として将軍後見職 ・禁裏御守衛総督 など要職を務めた後に徳川宗家 を相続、第1 5代将軍に就任。大政奉還 や新政府軍 への江戸開城...
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