1719 櫻井忠温墓(松山市祝谷東町442・道後鷺谷墓地)
櫻井 忠温 ( さくらい - ただよし、1879年 ( 明治 12年 ) 6月 11日 - 1965年 ( 昭和 40年 ) 9月 17日 ) は、日本陸軍軍人、作家。最終階級は陸軍少将。翻訳家、教育者の櫻井鴎村は実兄。 木村駿吉の娘婿で海軍中将の櫻井忠武は実弟。 経歴 1879年 ( 明治 12年年 6月 11日、愛媛県松山城下の小唐人町 ( 現・松山市大街道 1丁目 ) に士族の...
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View Article1720 臥牛洞狂平の仮名詩碑(松山市道後湯月町4・円満寺)
芭蕉十哲の各務支考 ( かがみ - しこう ) の門人・臥牛洞狂平 ( がぎょうどう - きょうへい ) らが、京都双林寺に建立の仮名詩碑にならい、支考の二五回忌宝暦五年 ( 1755 ) に建てた仮名詩碑 ( 俳体詩 ) で、全国に三基しかない珍しいものである。 我師この世にいます比 ( ころ ) しもは ひとへに其師の道をになひて 雪に氷に身をこらしつつ 夏野は脚を草にこがして...
View Article1721 奥平鶯居墓(松山市道後湯月町4・円満寺)
実は笑い話しなんですが、この場所を撮影した時の事 直ぐ隣に「良い感じ」の旅館が有るのですが その旅館に、ちょくちょくブログを覗かせていただいている『日本ボロ宿紀行』のもんすけさんが宿泊されていて、ニアミスしました ( 笑 )。 日本中の「ボロ宿 ( 良い意味で )」を御紹介されています。『日本ボロ宿紀行』↓ http://boroyado.doorblog.jp/ では本題に入ります。 「...
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View Article1722 松尾芭蕉句碑(松山市道後姫塚114・義安寺)
このほたる 田ごとの月と くらべ見ん はせを ( ばしょう ) 松尾芭蕉 1644 - 1694 正保一年 - 元禄七年 この句は、郷里に帰っていた芭蕉が、元禄一 ( 1688 ) 年「田毎の月」で有名な長野県更科の月見を思い立ち、旅の途中、大津に留っている頃、まず、瀬田川のホタルを見に行って詠んだ句である。 この義安寺付近は蛍の名所なので明治十六年...
View Article1723 高橋丈雄墓(松山市御幸1-281・長建寺)
みんな雑草 みんな花 みんな雲 丈雄 高橋丈雄 劇作家 ( 1906 - 1986 ) 代表作 明治零年 ( 文部大臣賞受賞 ) 死なす 祈りと怒り 鉄砲紀 鳥と詩人 人間釈尊 ラジオドラマなど多数 劇団かもめ座結成 文芸誌 アミーゴ創刊 愛媛の演劇文学振興に功績を残す。 (碑文より) にほんブログ村...
View Article1724 正岡子規・夏目漱石句碑(松山市道後公園)
ふゆ枯や 鏡にうつる 雲の影 正岡子規 ( 1867 ~ 1902 ) (慶応 3年 ~ 明治 35年 ) 明治二十八年冬の句。 子規句集『寒山落木』及び『病餘漫吟 ( びょうよまんぎん )』に見える。 明治二十八年秋、愚陀仏庵 ( ぐだぶつあん ) で子規が森円月に書き与えたもの。 子規「雲百句」の一つ。 半鐘と 並んで高き 冬木哉 夏目漱石 ( 1867 ~ 1916 ) 慶応 3年 ~...
View Article1725 永井ふさ子墓(松山市御幸1-281・長建寺)
ありし日の如くに杏花さけり み魂かえらむ この春の雨 ふさ ふさ子は戦前、親子ほど年齢の違う歌人あり病院院長の、斉藤茂吉と道ならぬ関係になっていました。 後、破局を迎えるが茂吉が没してから 10年後 ( 昭和 38年 ) 茂吉との関係を世間に公表してしまいました。 ● 斉藤茂吉 斎藤 茂吉 ( さいとう - もきち、1882年 ( 明治 15年 )...
View Article詩人まど・みちおさん死去
童謡「ぞうさん」や「やぎさん ゆうびん」などで知られ、やさしく深い言葉で命の貴さをうたいあげた詩人のまど・みちお(本名石田道雄〈いしだ・みちお〉)さんが、28日午前9時9分、老衰で亡くなった。104歳だった。葬儀は未定。喪主は長男石田京(たかし)さん。 ● まど・みちお ( 本名:石田 道雄〈 いしだ みちお 〉、1909年〈 明治4 2年 〉11月16日 - 2014年〈 平成 26年 〉 2月...
View Article1726 小林一茶句碑(松山市道後公園)
寝ころんで 蝶泊まらせる 外湯哉 一茶は その師、竹阿 ( ちくあ ) の旅日記『其日ぐさ』の跡をたどり、寛政七年 ( 1795 ) 讃岐から松山に入り、師の友人 栗田樗堂 ( ちょどう ) の二畳庵を訪ね、二月一日に道後を訪れて この句を詠んだ。 江戸時代古図 ( 1813年 ) によると、本湯の西の外れに長円形の池があり「乞食牛込入込 ( いりごみ )」とある。 いいお湯ではなかったらしい。...
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View Article1727 新田長次郎翁蔵髪碑(松山市御幸町1・来迎寺)
新田 長次郎 ( にった - ちょうじろう、安政 4年 5月 29日 ( 1857年 6月 20日 ) - 昭和 11年 ( 1936年 ) 7月 17日 ) は、明治時代から昭和前期の実業家。号は温山。愛媛県出身。 新田帯革製造所 ( 現 ニッタ ) の創業者として知られる。 経歴 安政 4年 ( 1857年 )、伊予国温泉郡味生村字山西 ( 現在の愛媛県松山市山西町 )...
View Article1728 足立重信頌功之碑(松山市御幸町1・来迎寺)
足立重信 ( あだち - しげのぶ、? - 寛永 2年 11月 17日 ( 1625年 12月 16日 )) は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。通称は半助、半右衛門。名は兼清、元清とも。 経歴 美濃国の生まれで、若い頃より加藤嘉明に小姓として仕えた。 嘉明の転封に伴い、伊予国正木 ( 松前 )...
View Article1729 芳澤謙吉墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)
芳澤 謙吉 ( よしざわ - けんきち、1874年 ( 明治 7年 ) 1月 24日 - 1965年 ( 昭和 40年 ) 1月 5日 ) は、新潟県高田 ( のち上越市 ) 出身の外交官、政治家。従二位勲一等旭日桐花大綬章。 家族・親類 妻の操は内閣総理大臣等を務めた犬養毅の長女。...
View Article1730 大井松隣墓(茨城県水戸市松本町13-34・常磐共有墓地)
大井松隣 ( おおい - しょうりん 1676 - 1733 ) 江戸時代中期の儒者。 延宝 4年生まれ。 京都で伊藤仁斎にまなび 大串雪瀾 ( せつらん ) の推薦により常陸 ( ひたち ) 水戸藩につかえる。 宝永 4年彰考館総裁。 藩主徳川綱条 ( つなえだ ) の命で「大日本史」の序文をかいた。 享保 ( きょうほう ) 18年 10月 9日死去。58歳。京都出身。...
View Article1731 星 新一墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)
星 新一 ( ほし - しんいち、本名・星 親一、1926年 9月 6日 - 1997年 12月 30日 ) は日本の小説家、SF作家。 父は星薬科大学の創立者で星製薬の創業者・星一。 森鴎外は大伯父にあたる。 本名の親一は一のモットー「親切第一」の略で、弟の名前の協一は「協力第一」の略。 イラストレーターのほししんいちとは特に関係がない。 父の死後短期間...
View Article1732 伊集院彦吉墓(港区南青山2-32-2・青山霊園)
伊集院 彦吉 ( いじゅういん - ひこきち、1864年 7月 22日 ( 元治元年 6月 19日 ) - 1924年 4月 26日 ) は、明治、大正時代の外交官。外務大臣。男爵。 経歴 薩摩藩出身。 1890年 7月 東京帝国大学法科大学政治科卒業。 ・同年外務省入省。 ・同期に石井菊次郎がいる。 1893年 芝罘 ( のち山東省煙台 ) 副領事。...
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