江戸時代の諸大名は、江戸とともに京都の市中にも藩の出先機関として藩邸を構えていた。
薩摩藩邸もそうした松平(島津)薩摩守の京屋敷であった。
この場所に大名の屋敷が設けられたのは16世紀か17世紀初頭からと考えられる。
江戸時代に多数出版され「京絵図」の類からその変遷をみると、まず最初は山城守松平忠国の屋敷であったが、17世紀末の一時期は松平下総守の屋敷になり、その後18世紀初頭からは約160年間にわたり代々薩摩守(島津氏)の京屋敷となっている。
薩摩藩邸の入り口は当初錦小路通にあったが、後には東洞院通にも拡張されている。
薩摩藩邸は18世紀の「宝永の大火」「天明の大火」で類焼したが、その都度再興されてきた。
しかし、幕末の京都市街の大半を焼いた「蛤御門の変」(1864年)による兵火で焼亡した後は、明治3年(1870年)に他の諸藩の京屋敷と同様に廃邸となった。
(表示板より)
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