贈正四位 坂本龍馬先生
贈正四位 中岡慎太郎先生銅像銘
土佐藩士坂本龍馬先生 中岡慎太郎先生は維新回天の偉業達成の為に最も重要な事績を遺しながら惜しくも大政奉還後僅かに三旬を経た慶応三年十一月十五日 旧幕府の為に京都に斃れた。
坂本先生は、特に海外の情勢に鑑みて海軍操練所の設立につくし自ら海援隊長となり、更に西郷、木戸の間を斡旋して薩長両藩を連合させ、藩主・山内容堂を動かして慶応三年十月十四日大政奉還の建白を実現した。
先生がかつて長崎に於いて後藤象二郎に示した八策、明治天皇によって宣布せられた五ケ条の御誓文の基底をなしたことは、即ち先生の卓抜した経国の理念を知るに足るものである中岡先生もまた陸援隊長となり坂本先生と薩長土同盟の達成を見るに至らしめた。
両先生は単なる軍国主義者ではなく、始めてわが国議会政治の確立を唱え、外交の重要性を力説して、海運貿易の発達に伴う内外経済の平衡と文明開化を熱望し、以て国勢の興隆に率先推進した大先覚者であった。
殊に坂本先生は、その平日愛誦した「天我レニ自由ヲ与ヘヨ 然ラズンバ死ヲ授ケヨ」との自作の詩の一節にあるが如く、わが国に於ける自由主義の先駆をなし、その影響が、最も強く板垣退助に及んでいることは顕著な事実であるしかるに、両先生の建軍の趣意は昭和軍閥にゆがめられ、銅像も戦時中に撤去の厄に遇った。
坂本先生は三十二才、中岡先生は二十九才をもって賊害されたがその不朽の鴻業と高遇なる識見とは永く萬人の軌範と仰ぐべきところであると確信して、ここに銅像を再建し顕彰の実を挙げんとするものである。
(碑文より)
関連情報
http://ameblo.jp/honmokujack/entry-10622797633.html
293 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地碑(近江屋跡)(四条河原町西側)
http://ameblo.jp/honmokujack/entry-10662431593.html
333 坂本龍馬・中岡慎太郎墓(東山区清閑寺霊山町1・霊山護国神社)
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