この地は清泉があり「柳水」として有名で,千利休も茶を点じたという。
村田珠光(1422~1502)の名を記すのは,茶道の祖といわれる珠光もこの水を使ったということであろう。
近世初期には織田信長息の信雄(1558~1630)がこの地に住し,のち肥後加藤家京邸となった。
貞享年間(1684~87)以降明治3(1870)年までこの地に徳川御三家の一つ,紀州和歌山藩邸があった。
この石標は,茶人村田珠光・織田信雄・加藤清正・紀州藩ゆかりの地を示すものである。
柳の水
このあたりの湧き水は、千利休がお茶に使われた名水(柳の水)
織田信雄(のぶかつ)邸跡・柳水(柳水(りゅうすい)町)
戦国期から江戸初期の武将で茶人、歌人としても知られた 織田信雄(信長の次男)の邸宅跡にあたり、名水として知られた信雄邸の井戸に日を避けるために柳が植えられていたことから、世人が柳水と称したと言われている。
この水は都でも指折りの名水として、千利休も「この水に勝るものなし」と賞賛したと言う。
(案内板より)
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