江戸時代より木屋町~河原町間の三条通は現在より道幅が狭く、現在の河原町以西の道幅と同じでした。
又、小橋右側 ( 北側 ) の旅館『吉岡家』は、江戸時代から続く旅館です。
幕末に「新撰組」の基礎である「浪士組」を結成し、その後新撰組と袂を分け、江戸の警護をして有名な庄内藩士『清河八郎』が安政二年に書いた紀行文「西遊草」のなかで、三条河原かたわらの「吉岡や」に泊まったと記してあります。
また、左側の有名なアールデコ風の出窓がある旅館も江戸時代から続く「大津屋」(現在は、有名な建築家・安藤忠雄によるタイムズビル)で、池田屋騒動の「池田屋」は、まだ、この当時までは、建物は残っていました。
又、「京城勝覧」( 儒学者・貝原益軒著 1630 ~ 1714 ) のなかに「三条小橋高瀬側にわたせり。 此下より舟にのり伏見にゆく。 此邊 ( このへん ) より大橋の際まで旅篭屋多し」。と当時の三条小橋周辺を紹介しています。
(案内板より)
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