小栗判官 ( おぐりはんがん ) は、伝説 上の人物であり、またこれを主人公として日本の中世 以降に伝承されてきた物語。
常陸国 小栗御厨 ( 現在の茨城県 筑西市 ) にあった小栗城 の城主 である常陸小栗氏 の小栗満重 や、その子・小栗助重 がモデルとされる。
概要
「小栗の判官」「おぐり判官」「をくりの判官」「をくり」「おくり」などの名でも伝えられる。伝承は多く残っており、後に創作されたものもあり、それぞれにかなりの相違が見られる。
説経節 や浄瑠璃 、歌舞伎 など多くに脚色されている。また縁のある土地にもそれぞれの伝承が残っており、小栗の通った熊野街道 は小栗街道とも呼ばれる。
人物としての小栗判官は、藤原正清、名は助重 、常陸 の小栗城主。京 の貴族 ・藤原兼家 と常陸国の源氏の母の間に生まれ、83歳で死んだとされるが、15、16世紀頃の人物として扱われることもある。
乗馬 と和歌 を得意とした。子宝に恵まれない兼家夫妻が鞍馬 の毘沙門天 に祈願し生まれたことから、毘沙門天の申し子とされる。
長生院 ( 藤沢市 ) に残る小栗判官・照手姫の伝説
応永 22年 ( 1415年 )、上杉禅秀 が関東 において乱 を起こした際、満重 ( 他の資料では小栗判官 ( 小栗助重 ) の父の名であるが、この伝承においては判官自身を指す ) は鎌倉公方・足利持氏 に攻め落とされ、落ち延びる。
その途上、相模 の国に 10人の家来 とともに潜伏中に、相模横山家 ( 横山大膳・横浜市 戸塚区 俣野に伝説が残る ) の娘・照手姫を見初め、結婚 の約束を交わす。横山は、旅人を殺し金品を奪う盗賊 であった。
照手姫は本来上皇 や法皇 の御所 をまもる武士 である北面武士 の子であったが、早くに父母に死に別れ、理由あって横山大膳に仕えていた。
小栗の行為に怒った横山庄司親子は、小栗を人食い馬と言われる荒馬「鬼鹿毛 ( おにかげ )」に乗せ噛み殺さようと企てるなど、さまざまな計略 を練るものの失敗。
しかしついには権現堂にて酒 に毒 を盛り、家来もろとも殺してしまう。横山は小栗の財宝を奪い、手下に命じて小栗と家来 11人の屍を上野原 に捨てさせる。この事実を知った照手姫は密かに横山の屋敷を抜け出すが、不義の罪により相模川 に沈められかける。
危ういところを金沢六浦の漁師 によって助けられるも、漁師 の女房に美しさを妬まれてさまざまな虐待 を受け、最後には六浦浜で人買いの手に売り飛ばされてしまう。姫は売られては移り、移っては売られて各地を転々とするが、最後まで小栗への貞節 を守り通す。
一方、小栗は地獄 に堕ち、閻魔大王 の前に引きずり出されるが、裁定により地上界 に戻されることができた。しかし異形の餓鬼阿弥 の姿で、癩病 にかかっており、歩くこともままならない。
幸いに藤沢 の遊行寺 ( 清浄光寺 ) の大空上人の助けを蒙り、地車に乗せられて東海道 を西進する。小栗が殺された夜、遊行寺では大空上人の夢枕に閻魔大王が立ち、「上野原 に 11人の屍 が捨てられており、小栗のみ蘇生させられるので、熊野の湯 に入れてもとの体に戻すために力を貸せ」と告げていた。
上人はそのお告げに従って上野原に行き、死んだ家来達を葬るとともにまだ息のあった小栗を寺に連れ帰ったのであった。
小栗を乗せた車は大垣 青墓の宿で偶然照手姫に行き会うが、2人はお互いの素性に気づかない。小栗は照手姫の手によって大津 まで引かれて行く。病はさらに重くなるが、遊行上人の導きと照手姫や多くの善意の人々の情を受けて熊野 に詣で、熊野詣の湯垢離場 である湯の峰温泉 の「つぼ湯」の薬効によりついに全快する。
小栗は新たに常陸 の領地 を与えられ、判官 の地位を授けられる。常陸に帰った小栗は兵をひきいて横山大膳を討ち、家来の菩提 を弔う。
さらに小栗は美濃 の青墓で下女として働いていた照手姫を見つけ出す。こうして 2人はようやく夫婦 になることができた。小栗の亡くなった後、弟の助重が領地を継ぎ、遊行寺に小栗と家来の墓を建てた。照手姫は仏門 にはいり、永享 元年 ( 1429年 ) に遊行寺内に草庵 を結んだという。
説経節にみる小栗判官伝説
正本として、延宝 3年 ( 1675年 )「おぐり判官」( 作者未詳 )、年未詳「をくりの判官」 ( 佐渡七太夫豊孝 ) その他がある。
鞍馬の毘沙門天の申し子として生を受けた二条大納言兼家の嫡子 ・小栗判官が、ある日鞍馬から家に戻る帰路、菩薩池の美女に化けた大蛇 の美しさに抗し切れず交わり、妻としてしまう。大蛇は懐妊するが、子の生まれることを恐れて隠れようとした神泉苑 に棲む龍女と格闘になる。
このために 7日間も暴風雨が続き、小栗は罪を着せられ常陸の国に流された。この場所にて小栗は武蔵 ・相模 の郡代横山のもとにいる美貌の娘である照手姫のことを行商人 から聞かされ、彼に頼んで文を渡す。
照手姫から返事を受け取るや、小栗は 10人の家来とともに、照手姫のもとに強引に婿入りする。これを怒った横山によって、小栗と家来達は毒殺され、小栗は上野原 で土葬 に、家来は火葬 にされる。
照手姫は相模川に流され、村君太夫に救われるが、姥の虐待を受け、千手観音 の加護により難を逃れたものの人買いに売り飛ばされ、もらわれた美濃国青墓の万屋でこき使われる。
一方、死んだ小栗と家来は閻魔大王の裁きにより「熊野の湯に入れば元の姿に戻ることができる」との藤沢 の遊行上人宛の手紙 とともに現世 に送り返される。餓鬼阿弥が小栗の墓 から現われたのを見た上人は手紙を読み、小栗を車に乗せると胸の木札に「この車を引くものは供養になるべし」と書きしたためた。多くの人に引かれた車は美濃の青墓に到着する。
常陸小萩の名で働いていた照手姫は小栗と知らずに 5日間に渡って大津まで車を引き、ついに熊野に到着する。熊野・湯の峰温泉 の薬効にて 49日の湯治 の末、小栗の業病は完治し元の体に戻ることができる。その後、小栗は京 に戻り天皇 により死からの帰還は珍事であると称えられ、常陸・駿河・美濃の国を賜ることになる。また、車を引いてくれた小萩を訪ね彼女が照手姫であることを知り、姫とともに都に上った。
やがて小栗は横山を滅ぼし、死後は一度死んで蘇生する英雄として美濃墨俣の正八幡 ( 八幡神社 ) に祀られ、照手姫も結びの神として祀られた。
その他の伝承、文献
御物絵巻「をくり」、奈良絵本 「おくり」があり、これらは説教節から詞章を得ていると見られている。また瞽女 歌の中にも類似の物語が残っている。
近年では、1991年 ( 平成 3年 ) に初演された梅原猛 作のスーパー歌舞伎 『オグリ』、2009年 ( 平成 21年 ) の宝塚歌劇団 花組 公演『オグリ! ~小栗判官物語より~ 』(木村信司 作・演出、壮一帆 主演)、1982年に初演された遠藤啄郎脚本・演出の横浜ボートシアター仮面劇『小栗判官照手姫』などがある。また1990年に、近藤ようこ によって漫画化・発表されている。
関連項目
・三鍋王子
・折口信夫 (「小栗外伝」1929年(昭和4年)、「餓鬼阿弥蘇生譚」1929年(昭和4年)、「小栗判官論の計画」1930年(昭和5年)などの著書あり)
・蘇りの血
・上杉憲実
外部リンク
・小栗判官まつり 茨城県筑西市(旧協和町) (毎年12月の第1日曜日に開催)
・現代影絵プロジェクト 江戸写し絵(幻燈影絵)で小栗判官を公演している
(wikiより)
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