元治元年 ( 1864 )。
精志勢。
久坂義助勢。
蛤門で重傷。
鷹司邸で自決。
乃右衛門子。
● 鷹司邸跡
鎌倉時代中頃、近衛家 ( このえけ ) からわかれた五摂家 ( ごせっけ ) の一つです。
江戸時代中期には閑院宮 ( かんいんのみや ) 家の皇子淳宮 ( あつのみや ) が鷹司家を継ぎました。
孫の政通 ( まさみち ) は幕末期 30年以上も関白 ( かんぱく ) を務め、九条尚忠 ( くじょうひさただ ) へ譲った後も、内覧 ( ないらん )、太閤 ( たいこう ) として朝廷 ( ちょうてい ) で重要な役割を担いました。
孫の政通 ( まさみち ) 夫人は水戸藩主 ( みとはんしゅ ) 徳川斉昭 ( なりあき ) の姉で、外国情報を早く知り得たといいます。
1864 ( 元治元 ) 年の禁門の変では、長州藩士が邸内に入り、屋敷に放たれた火は、長州藩邸の火などとともにどんどん焼けと称する京都大火につながりました。
(説明版より)
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