吉成 ( よしなり ) 又右衛門の墓である。
雅号は慎亭。
藤田幽谷の門に学び、天保元年 ( 1830 ) 郡奉行となり、以降十五年にわたり民政に携わった。
弘化元年 ( 1844 ) 藩主・斉昭の無実を老中・牧野忠雅に嘆願して処罰されたが、閑居中に関わらず脱して閣老に上訴して、再び罪を得た。
嘉永二年 ( 1849 ) 許されたが、翌年 54歳病死。
二男・恒次郎も国事に奔走している。
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