人気ラーメン店『支那そばや』創業者で「ラーメンの鬼」の異名で知られる佐野実(さの・みのる)さんが11日、多臓器不全のため川崎市内の病院で亡くなった。63歳だった。
関係者によると、今年2月中旬より体調を崩し療養していたという。
通夜は17日午後6時より、葬儀・告別式は18日午前10時半より、佐野家とサノフード社の合同葬として新横浜斎場(横浜市港北区新横浜1-7-5)で執り行われる。喪主は妻・しおりさん。
日本ラーメン界の重鎮として多数のメディア露出で知られ、厨房服とオールバックの髪型がトレードマークだった。
自身のブログも開設しており、2月14日に弟子の新店オープンに際し「その勝負を掛けたラーメン、俺も食いにいくよ!」と綴ったのが最後の更新となった。
病室ですすった最後のラーメン 亡くなった佐野実さん
11日亡くなった佐野実さんは、闘病生活中もラーメンにこだわり続けた。
妻のしおりさんによると、実さんはこの数年間、糖尿病と闘っていた。
40度を超す発熱で2月に入院し、治療を続けていた。
「ラーメンが食べたいなあ」。2カ月に及ぶ入院中も「ラーメン」のことを考え続けた。「店を開きたい」と、考えたメニューを震える字で書き留め、しおりさんに清書を頼んだ。
63歳の誕生日を迎えた今月4日。佐野さんの強い希望で、病室に「支那そばや」の�碵油(しょうゆ)ラーメンを内緒で持ち込んだ。
しおりさんは体調を気遣い、スープを薄めていた。
実さんは「まずいよ、うすいよ」と言いながら、麺を10本ほどすすった。
それが「鬼」と呼ばれた職人が口にした最後のラーメンになった。
しおりさんは「ラーメンしか趣味のない人。最後までこだわっていた」と話した。
● 佐野実
佐野 実 ( さの - みのる、1951年 4月 4日 - 2014年 4月 11日[1][2]) は、ラーメン店「支那そばや」創業者。
神奈川県横浜市戸塚区出身。血液型A型。
メディアに多数出演し、「ラーメンの鬼」の異名で知られる。
経歴
神奈川県横浜市戸塚区に 4人兄妹の次男として生まれた。
家が貧しくつねに空腹だったため、幼いころから「将来の夢はラーメン屋か寿司屋になること」と言っていたらしい ( 本人は記憶していない )[3]。
父親は酒乱気味で、少年時代の佐野に度々暴力を振るっていた。
その影響からか、本人も短気で直ぐ「キレる」性格故、幼稚園を退園処分になった事もあった。
横浜市立戸塚小学校、横浜市立戸塚中学校時代は新聞配達や牛乳配達のアルバイトをして小遣いを稼ぎ、その金でラーメン屋に通った。
中学生のとき初めてラーメンを作って家族にふるまい、旨いと褒められた。
藤沢商業高等学校 ( 現:藤沢翔陵高等学校 ) に進学し、野球部に所属してプロ野球を目指したが、チームメイトに後に読売ジャイアンツなどで投手として活躍した小俣進がいたため、実力の差を知り、プロ野球への夢を諦めた。
学校の近くに好きなラーメン屋があり、毎日のように登校前と昼休みの 2回食べに行った[3]。
高校卒業後、横浜市内の不二家レストランに就職。
同店のカレーライスが好きで、1ヶ月近く通い詰めるほど旨かったからという。
以後ずっと洋食の世界ですごし、28歳から 34歳迄は管理職 ( 店長 ) を務める傍ら趣味でラーメン店の食べ歩きを重ねていたが、独立してラーメン店を開きたいという思いが募り、湯河原のあるラーメン店で 1週間修業したのち、実兄の資金援助を受けて 1986年 8月に藤沢市鵠沼海岸 7丁目に「支那そばや」を開店した。
初めは思うような味が作れず、客も少なく、厨房で涙を拭った事もあるという。
店の経営がようやく軌道に乗りはじめたのは、2年後の 1988年ごろである。
2000年からは藤沢の店舗は佐野の弟子に譲ったが、辞めてしまった為 2004年に閉店している。[要出典]
ラーメンの世界で唯一頭が上がらない人物として、旧「東池袋大勝軒」店主の山岸一雄の名を挙げている[要出典]。
2012年、2008年 11月に生地である横浜市戸塚区に移転した「支那そばや」本店と、新横浜ラーメン博物館店を営業している。
本店の開店と同時に、「「ラーメンの鬼」佐野実の厳選ブログ」を開設した[4]。
2009年 5月に駒沢オリンピック公園で行われた「ラーメンShow in Tokyo 2009」など、近年のラーメン関係のイベントでは、「佐野JAPAN」[5]というチーム名で出店している。
これは、佐野を師と仰ぐラーメン店の店主たちが集まったチームであり、支那そばや同様あっさり系スープの店が多い。
イベントではHEY!たくちゃんにものまねされることも多い。
2014年年 4月 11日、多臓器不全のため川崎市の病院で死去。
関係者によると、同年 2月中旬より体調を崩していたという。満 63歳没[2]。
こだわり
麺は自家製麺しており、新しい麺の開発にも積極的である。
新横浜ラーメン博物館店で使用している「絹越和伊麺」 ( きぬこしわいめん ) は、イタリア産のデュラム・セモリナ粉と、国産小麦をブレンドしたものを用いている。
製麺機から出来た麺は木箱に入れ、2~4分間、少し蓋を開けて放置。
その後高湿冷蔵庫 ( 高級蕎麦屋で使われている ) でひと晩保管して熟成させる。[要出典]
戸塚本店では、スープに使う鶏ガラは名古屋コーチン、麺に使うかん水はモンゴル産、具のネギは九条ネギ、醤油味と塩味で分けている器は有田焼などと、高価なものを使用している[要出典]。
鵠沼に出店していた時代は、香水の匂いが強い人の入店・店内での私語・喫煙・携帯電話の使用が一切禁止とされていたが、現在はそういった「客への細かい注文」は事実上解消されている[3]。
店内の私語については「食事中は静かにと言っているだけ」と述べている他、香水については「香水の匂いがきつい女性客が来店した事があったから」とコメントしている。
又、過去には泥酔した客に対して刃物を振り回して「お前らは客じゃない、金は取らないから出て行け」と追い出した事もあった。
その他、麺の出来に納得いかない時は店を臨時休業したり、スープを残す客に対して「残すなら最初から食うな」と本人が発言している[要出典]。
メディア出演
白い詰め襟の厨房服とオールバックの髪型をトレードマークとして[6]、メディアに多数出演している。
テレビ東京系列
『愛の貧乏脱出大作戦』1998年の同番組初期に登場、初めてのテレビ出演であり、横浜ラーメンの達人として紹介された[要出典]。
『最強ラーメン伝説』 ラーメンを味見し、不満足なら席を立つ。納得すれば「参りました」と頭を下げ、5人中 3人が認めれば『参ったラーメン』に認定。更にその中からベスト・オブ・ベストのNo.1を選ぶというガチンコのラーメン対決。現在、第 1回~第 4回までの全てに審査員として出演[要出典]。
TBS系列
『世界ウルルン滞在記』(2001年12月23日放送) 中国蘇州の名店「同得興」のオーナーである肖偉民が来日し、ラーメン博物館の支那そばやのラーメンを食したが満足できず、店主の佐野本人を呼び出して「うま味調味料を使いすぎていて味が濃すぎる」と指摘した。
それに対して佐野は、「自分自身が料理の管理をしている訳では無い」と弁明した。
また、日本出店を願うある中国人店主が出演した時、羊のチャーシューを使ったラーメンを披露したが、佐野は「味は悪くないが、チャーシューにクセがあるので日本では受け入れられない」と切り捨てた。
中国人店主は「これは絶対売れるし成功する」と言ってその評価を否定した。[要出典]
『水トク!『本日、開店します!』』(2014年1月22日放送)の「脱サラ店主をその道のプロが辛口判定」では、ガチンコラーメン道・佐野の弟子が 10年ぶりに開店を目指す内容を放送した。
佐野は弟子のラーメンを食べて「普通の中華屋さんのラーメンだな」と評価した。
また、ガチンコ!で使われたテロップやナレーション(担当:垂木勉)も流れた。
『ガチンコ!』 この番組の企画「ガチンコラーメン道シリーズ」で、ラーメン職人を育てる講師となり有名になった。
ラーメンの鬼と自称しており、同番組では、出演者を激しく罵倒したり、冷水をかけたりするなどの厳しい指導シーンが頻出しており、この中で出演者の作ったスープを佐野が捨てたシーンが「食品を粗末にする」ということで放送倫理委員会から注意されている。[要出典]
テレビ朝日系列
『裸の少年』 ゲスト賢人として出演した。
『Delicious Collection』 「ラーメンへのこだわりと愛情物語」で取材を受けた。
日本テレビ系列
『NEWSリアルタイム』 2008年末の戸塚移転の際に、開店迄の佐野や、その関係者達の様子、オープン当日の様子が放送されていた。
NHK
『クイズ 100人力』(2014年1月11日) 「ラーメン対決」の回に100人側キャプテンとして出演。
映画
アイ・アム I am.(主演水川あさみ) 初めての映画出演[7]。
ラーメン侍(主演渡辺大)
CM
究麺(明星食品)
著書
『佐野実、魂のラーメン道』 2001年10月、竹書房、ISBN 978-4812408148
『オレが唸ったラーメン一杯—ガチンコオヤジ佐野実』 2005年4月、講談社 ISBN 978-4061795631
『佐野実のラーメン革命— 麺は男、スープは女』 2009年9月、朝日新聞出版 ISBN 978-4022506306
脚注
1. 故佐野 実儀平成26年4月11日63歳にて永眠致しました。謹んでご報告申し上げます。,株式会社エヌアールフード,2014年4月11日
2. a b 「ラーメンの鬼」佐野実さん死去,ORICON STYLE,2014年4月11日
3. a b c 出典:『湯気のむこうの伝説—ラーメン偉人伝』
4. 「ラーメンの鬼」佐野実の厳選ブログ
5. メンバーは「柳麺 ちゃぶ屋」「ラァメン家69'N ROLL ONE」「らぁ麺 胡心房」「ラーメン道 Due Italian」「白河手打ち中華 一番いちばん」「支那そば 天下ご麺」「町田汁場 しおラーメン進化」「麺屋 維新」「気むづかし家」「九州ラーメン火の国」「支那そば家 毎度」などの店主たちである。その中でも「ガチンコラーメン道Ⅲ」の出演者であった藤井英次(支那そば 天下ご麺)・石塚和夫(ラーメン道 Due Italian)もいた。[要出典]
6. テレビでラーメン店を訪ねるとき、わざわざ厨房服を着るのは「キャラを立てる」ためのメディアによる演出である。[要出典]
7. スクリーン初デビュー・・
参考図書
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この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆をお願いします。(2013年12月)
『湯気のむこうの伝説—ラーメン偉人伝』 垣東充生著、新宿書房、2000年 ISBN 978-4880082677
関連項目
チャルメラ - 明星食品から発売されているインスタントラーメン「チャルメラ」に期間限定で佐野実シリーズが発売されていた。
外部リンク
本人サイドが公開しているYouTubeチャンネル - 公式YouTube チャンネル
(wikiより)
サザンオールスターズライブ、「暮れのサナカ」の当日 新横浜プリンス・ペペ(地下食品店)で、御見かけしましたが、画像の通り「腕を組み、周りを威嚇」しながら歩いていましたのが、いまでも思い出します。