俳優・宇津井健さんが14日、慢性呼吸不全で亡くなった。82歳だった。
関係者によると、肺気腫を患い、入退院を繰り返していたという。
宇津井さんは俳優養成所出身。1954年、新東宝に入社。55年、「青春物語」に主演以降、新人スターとして大活躍した。
山口百恵と共演した「赤い迷路」「赤い運命」の“赤いシリーズ”などで、正当派の2枚目スタートとしての地位を確固たるものとした。
近年はTBS系「渡る世間は鬼ばかり」に出演。昨年5月、6月に放送されたスペシャル版にも出演していた。
● 宇津井健
宇津井 健 ( うつい - けん、1931年 10月 24日 - 2014年 3月 14日 ) は、日本の俳優。東京府東京市深川区 ( 現在の東京都江東区 ) 出身。
俳優座を経て、新東宝に入社。
若手映画スターの一人として活躍。新東宝倒産後、大映に移り、テレビドラマにも進出し、以来 60年近く現代劇・時代劇双方で幅広く活躍してきた名優の一人。
代表作は『スーパージャイアンツ』シリーズ、『東京警備指令 ザ・ガードマン』、『新幹線大爆破』、『赤いシリーズ』、『さすらい刑事旅情編』、『信長 KING OF ZIPANGU』、『渡る世間は鬼ばかり』など。
特技は乗馬、ナイフ製作。サムデイ所属。
来歴・人物
千葉県立千葉高等学校卒業、早稲田大学第一文学部演劇専修中退。
勝新太郎とは幼馴染であった。
大学時代は馬術部に所属。
在学中の 1952年に俳優座養成所に第 4期生として入団。
同期には佐藤慶・佐藤允・仲代達矢・中谷一郎らがいる。
この間に『思春の泉』 ( 1953年、中川信夫監督 ) で華々しく映画初主演を飾る。
配役理由は「裸馬を乗りこなす」ことが条件だったため、適任者がなかなか見つからず、宇津井に白羽の矢がたった[1]。
仲代、佐藤慶・中谷からは「ほんとにもう・・・。健ちゃん、馬に乗れて良かったね」と羨ましがられた[1]。
翌1954年に新東宝に入社し、若手スターとして活躍、『鋼鉄の巨人 ( スーパージャイアンツ ) シリーズ』では主演を務めた。
新東宝が倒産した1961年には大映に移り、映画では脇に回ることが多くなる。
主演した大映テレビドラマ『ザ・ガードマン』 ( 1965年 - ) は 30%を超える高視聴率で長寿番組となる。
1960年代半ばから 80年代前半まで大映テレビドラマの大黒柱として活躍。
山口百恵と共演した「赤い」シリーズ、1988年 10月から 1995年 3月まで 7シリーズにわたって放送された『さすらい刑事旅情編』などに出演する。
また、「赤い」シリーズの前作となるTBS系ドラマ『顔で笑って』では、主題歌「パパは恋人」を山口百恵とデュエットしている[2]。
最近[いつ?]ではドラマの中で、子供思いの父親または祖父役を演じることが多い。
温厚で気が優しいが根は熱血、といった役柄が多く、似たキャラクターを演じ続けるタイプであり、悪役は滅多にない。
2005年 6月 23日の『とんねるずのみなさんのおかげでした』に息子の宇津井隆 ( フジテレビ事業センター事業推進担当部長 ) が出演している。
2005年の自身の誕生日に、重病を患うもクリスチャンになり気丈に振舞っていた妻の姿に心を打たれクリスチャンになった[3]。
2006年 4月 6日から放送開始した『渡る世間は鬼ばかり』の第 8シリーズで藤岡琢也に代わり主人公の岡倉大吉を演じる。
宇津井自身、連続ドラマで主役を演じるのは 1995年 3月の『さすらい刑事旅情編』の放送終了後 11年ぶりである。
自宅にはトレーニングルームがあり、テレビ通販で購入したマシンがたくさん置かれている。
小柳ゆきのCDをかけて体を鍛えることが毎日の日課であった。
ただ有酸素運動は嫌いだという[4]。
また、ドラマの収録時の合間には持参した鉄アレイで体を鍛えていた。
座右の銘は「才能の器は小さい、努力の器は大きい」。
2014年 3月 14日、慢性呼吸不全により死去[5]。
詳しい事は『 宇津井健ウィキペディア 』を御覧下さい。↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E6%B4%A5%E4%BA%95%E5%81%A5
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