尺 振八 ( せき - しんぱち、天保 10年 ( 1839年 ) - 明治 19年 ( 1886年 ) 11月 28日 ) は日本の教育者、英学者。
概要
文久元年 ( 1861年 )、幕府に出仕し、同年及び文久 3年 ( 1863年 ) の遣欧使節団に翻訳方として同行した。
明治元年 ( 1868年 )、神戸のアメリカ公使館で通訳を務める。
『理財の学は百学問の上にあり』といい、福澤諭吉とは知己の仲であった。
明治 3年 ( 1870年 ) に、福澤諭吉の慶應義塾、中村正直の同人社と並んで“東京の 3大私塾”と呼ばれた共立学舎を両国に創設した。
その後、共立学舎は、自由民権運動闘士の溜まり場と化したため、閉鎖された。
夏目漱石は成立学舎、共立学舎、進文学舎を 3大予備門と呼んでいる。
明治 5年 ( 1872年 ) に大蔵省に出仕し、翻訳局長となる。
明治 8年 ( 1875年 ) に辞職。
ハーバート・スペンサーの著書を翻訳した『斬氏教育論』の中で「sociology」の訳語として「社会学」という言葉を初めて使用した。
(wikiより)
関連情報
http://ameblo.jp/honmokujack/entry-10580846494.html
241 尺振八(せきしんぱち)の共立学舎跡(墨田区両国四丁目八番周辺)
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