伊達 宗曜 ( だて - むねてる )
明治 13年 ( 1880年 ) 5月 11日 - 大正 11年 ( 1922年 ) 7月16日 ) は、明治時代 から大正時代 の華族 。正四位。男爵 。貴族院議員 。宇和島藩 主・伊達宗城 の十男。幼名は鉤一郎。
明治 25年 ( 1892年 ) に兄・伊達宗倫 の養子となり、宗曜と改名した。
妻は伊予吉田藩 主・伊達宗孝 ( 宗城の実弟 ) の娘・富貴子。子に伊達宗光 、伊達宗克 、宣子 ( 藤沢威雄夫人 )、城善、直子 ( 大浦康信夫人 )、菊子 ( 高津奈良夫人 )、欽子 ( 秋元順朝 夫人 )、美知子 ( 初名孝子 ) 。
学習院 中退後、築地の文海学校 に入るが中退し、家庭教師に勉学を学ぶ。
大正 9年 ( 1920年 ) に貴族院議員となる。
大正 11年に 43歳で没した。家督は宗光が継いだ。
参考文献
日本人物大辞典(講談社刊)
(wikiより)
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