堀田 正仲 ( ほった - まさなか ) は、江戸時代 前期の譜代大名 。下総 古河藩 の第 2代藩主、のちに出羽 山形藩 主を経て、陸奥 福島藩 の初代藩主。正俊系堀田家 2代。
生涯
寛文 2年 ( 1662年 )、当時は上野 安中藩 主で老中 であった堀田正俊 の長男として生まれる。
貞享 元年 ( 1684年 ) 8月、父が稲葉正休 に暗殺されると、大久保忠朝 や阿部正武 らと協力して正休を討った。
同年 10月、家督 を継ぐ。このとき、双子の弟の正虎 に 2万石 ( 下野 大宮藩 ) を分与し、正高 に 1万石 ( 下野佐野藩 ) を分与したため、自らの所領は10万石となった。
貞享 2年 ( 1685年 ) 6月、出羽山形に移封される。
貞享 3年 ( 1686年 ) 7月には陸奥福島に移封された。
しかし、これらの移封は父が暗殺されたために行われた処罰的な移封であり、しかも福島藩は悪地が多く実高が低かったため、藩財政が窮乏した。
このため、正仲は家臣団の解雇をはじめ、年貢や運上金を厳しく取り立てる重税の措置を執った。
さらに、領民に対して特産物である絹織物 に絹役、飯坂温泉 をはじめとする領内の各温泉に湯投銭を課すなど、様々な重税を強いて領民を苦しめた。
しかし第 5代将軍・徳川綱吉 からは寵愛され、「頗る功あり」とまで賞された。
元禄 7年 ( 1694年 ) 7月 6日に死去した。享年 33歳。跡を弟の正虎が養子となって継いだ。
戒名 : 常楽院殿其阿法漢映性大居士
(wikiより)
関連情報
http://ameblo.jp/honmokujack/entry-11979409208.html
2721 堀田正利供養塔(神奈川県藤沢市西富1-8-1・遊行寺)
http://ameblo.jp/honmokujack/entry-11979875837.html
2722 堀田正利妻・萬供養塔(神奈川県藤沢市西富1-8-1・遊行寺)
http://ameblo.jp/honmokujack/entry-11979881627.html
2723 堀田正盛供養塔(神奈川県藤沢市西富1-8-1・遊行寺)
http://ameblo.jp/honmokujack/entry-11979883364.html
2724 堀田正盛 妻・阿栗供養塔(神奈川県藤沢市西富1-8-1・遊行寺)
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