この坂は昔、坂の上にあった田中八幡宮にちなんで八幡坂と呼ばれていました。
後に八幡宮が音羽町八丁目の裏通りに移転してからは、坂下の妙足院の大日堂にちなみ、大日坂と呼ばれるようになりました。
大日堂は、大日如来を祭り江戸時代から小日向の名所として知られてきました。
明治時代に入ると、毎月八の日の縁日には、水道通りにたくさんの露店が並びにぎわっていました。
また、坂下の神田川 ( 旧称 江戸川 ) は、明治末まで土手に植えられた桜並木が有名でした。
(案内板より)
像の名称 牧 歌
製作者 御正 進
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