花道
「濁流」の花道の師、笠翁斉乱鳥の死を悲しんだ弟子たちによって一周忌に建碑された。
笠翁斉乱鳥は、享和三年 ( 1803) 七月晦日死去。享年八十八才。
浅草本然寺 ( 曹洞宗・現西浅草 3-25-3 ) に埋葬。
悲しんだ弟子たちが、瓶に花を挿したが、衰える花を惜んで地中に埋め塚とした。
戦後の昭和三十一年に観音堂裏手東北より移転。
建碑 文化元年 ( 1804 ) 三月十七日
「かめに花を挿こと古しへより聞え来れるを近き代には其花をさすにのり有事と成り其流くさくに分かれぬ。
笠翁斉鳥其わざを好てこの大城のもとに濁流としなへて弟子あまた有き。
こその文月つごもり、齢八十餘八にてみまかり給。
浅草本然禅寺に葬ぬ。
ことし三月十七日、かの翁の親しき友垣に弟子の集りて、かめに花をさして手向つ。
其花のなごりを空しくなさむ事を惜み、はた翁の名の朽さらん事をおもひて、浅草寺の大ひさのみ堂のうしろ清らなる所を選て其花を埋めて花塚と名付て後の世に残しなんとす。
彼弟子の中、平石氏乱雨翁え残されしほほに笠翁斉の名を残したれば人々共に計りて其事成ぬ其わきかいつけよとこはるるにいなひあへずして記つ。
「文化元年七月千蔭」
(案内板より)
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