1873 ( 明治 6 ) 年 7月 2日、中国の福州を出航したR.J.ロベルトソン号がオースロラリアに向け航行中、洋上で台風にあい、同年 7月 11日、この碑の東約 1km沖にあるウプピシ ( 大きな干瀬 ) に座礁して遭難した。
宮国地区の人々は台風で荒れ狂う激浪の中、翌 7月 12日、危険をおかして乗組員 8名全員を救助し、37日間にわたり親切丁寧に手厚くもてなし帰国させた。
このことは、いちはやくドイツの新聞に取り上げられ、ドイツ政府は宮国の人々の純情に感激し、時の皇帝ウィルヘルム 1世は 1876 ( 明治 9 ) 年、軍艦を派遣し平良市西里 ( 親腰 ) に博愛記念碑を建てた。
この美談は、昭和 12年の文部省発行教科書”尋常小学修身書巻 4”に「博愛」という題で載せられ全国の小学校で教材となった。
このドイツ商船遭難之地碑は、宮国の人々の美しい心と勇気ある行動をいつまでも讃えるために、ロベルトソン号遭難から 63年目の 1936 ( 昭和 11 ) 年に近衛文麿公の筆により刻まれた。
(案内板より)
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