三島 政行は通称を政蔵といい、知遇翁、凸凹斎などの号を称していた。
西丸御留守居三島政春の六男として江戸牛込船河原町 ( 現在新宿区 ) で生まれた。
十五才の時に分家の三島大助政世の養子となり、文政元年 ( 一八一八 ) 御書院番となり、ついで清水殿物頭に転じた。
文政九年 ( 一八二六 ) 幕命によって、江戸府内の地誌『御府内風土記』の編纂を行い、三年にして完了したが、明治五年 ( 一八七二 ) に焼失、その際に災を免れた資料集が『御府内備考』である。
このほか昌平黌地理局総裁林述斎を中心として編纂した『新編武蔵風土記稿』『新編相模風土記稿』の事業にも参画し、『葛西志』などの編纂にも従事しており、その功績は大きい。
安改三年 ( 一八五六 ) 九月二十九日、年七十七で歿した。
(案内板より)
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